ちがうでしょお

 

 






 涙の向こうに来たるべきものに手をかけて。
 狂ったように強いシャワーがプラスチック製の椅子に座り込んだ彼女の頭の先から降り注ぎ、黒く長い髪はじっとり重く濡れて首に絡みついている。朝から不吉な熱い雨。霧の中に忘れ去られた石灰岩の塑像のように孤独なポーズ。美しい背中を細い川が蛇行し、尻の谷間へと流れ込んでいく。北極圏の夏みたいだ。おやすみ獣。
 あの頃の俺も彼女もどこかに失くしてしまった写真の中にしかいない。ダサい服を着てダサい音楽を聴いていた俺達は合わせ鏡の向こうの向こう。
 そう言えば青いバスタブなんていうのもあった。色んなものがあった。
 誰しも自分達の街がない。自分達の歌が見当たらない。
 シャワーのコックが閉じられる。水の音が消えると、天井の換気扇が低く唸っている。
 バスタブの縁に腰掛けて湯に足を浸した二人の、それぞれの煙草の先から無意味な煙が弱々しい換気扇に吸込まれていく。ブーンてな具合に。
 彼は彼女の腰に手を回し、柔らかな陰毛を弄ぶ。格好つけてるだけの、甘えてるだけの、神話気取り。見た目には綺麗な水。
「幸せってものがうまく想像出来へんねやろ?」
「ううん、想像っていうのがうまく出来へんのちゃうかな」
「高校生みたいなこと言うなよ。想像の中の私だけが私やねんで」
「あんたの想像の中の私が、私なんだと思える。なあ、もっと私のことをいっぱい考えてよ」
 私は泣きながら、まるで眠っているようだと思っていた。こうやって男にバカだと言っても仕方がないことなんて知っている。夢見るみたいに思っている。男達は皆、宝石掘の穴の底で働いている。私はその穴に流し込んでやる。お前らはバカだと。あんたはバカだと。
「こんなんじゃダメだね」
カセットテープはA面からガチャリとB面を経て、ガチャリとまたA面に戻ってしまう。
 この世は昼も夜もミスキャストで溢れている。彼女は最高のミスキャストだったと俺は思う。俺もミスキャストだった。お蔵入りになってしまった時代遅れのフィルムは、俺の記憶の中でだけ何度も重ね撮りされてしまった。
 ぬるい湯が俺の体を冷やし続けている。
 花嫁は「蜂は、たとえ赤ん坊でも何も知らずに刺してしまいます」と言った。
 正しさを行うのではなく誤りを隠すためだけに、という文字が蘇ったがそのページも破り捨てた。
 そして彼女はコンコース中に響き渡る程とんでもなく大きな声で怒鳴った。
「あんたは迷子の犬か!」
 あなたは占い師のようにその彼の運命を読み解くのが定めなのかもしれない。
 栄光や凋落をつぶさに見届けながら導く役目があるってこと。他の誰も気付かへんことに、あなたは気付く筈。若いから分からんかもしらんな。古い時代の封建的な言い方に聞こえる?
 それは男やから女やからっていうんじゃなくて、女でもそういう大きい運命を持ってる人はいるし、男でも巫女的な役割の人はいっぱいいる。気を悪くして欲しくないねんけど、今のあなたは臆病すぎる。そしてこれからも少しずつ臆病になっていく。そのせいで嘘もたくさんついてきたけど、もう嘘はうんざりとも思ってる。大きな河はとても孤独だから、必要なのはそこに浮かんで一緒に流れていく臆病で正直な水鳥。あなたはその自分の臆病さから目を背けずにいれば、これからも色んな大切なことを知っていく。あなたの臆病さから彼は多くを知る。そんな難しい顔なんかせんといて。
「河は河口に向かう程大きくなっていくもんやろ?」
 自分のことは高層ビルから街でも睨んで自分で占えってね
 極度の女好きって、なんで世捨て人みたいに見えるんやろ。
「サイモン、チャリ乗して帰ったろか」
「いいですよ、恥ずかしい」
「腰に手回したりしてもええねんで。ハーレーやと思え」
「そういうのが恥ずかしいねんて」
 東芝さんと肩落として歩くねん。街灯のない道。もう連中からははぐれている。遠くにパチンコ屋の明かり。
「サイモンさ、私、今テネシーワルツが流れてきたら泣くと思う」
「大丈夫、絶対に流れてこやへんから」
 オレ達はドブ川の横をぶらぶら。テネシー川、コロラド川、ニューコロラド川、ミシシーッピー川。全然違う。ラスカルも泳いでいない。夜に柳の木。これじゃハックリベリーフィンも暮らせない。
「私さ、将来絶対に結婚とか出来へんわ、とか思った、今日」
「ああ、分かる」
「ひどい」
「でもさ、逆に部長みたいにもなれへんと思う。オレも」
「うん、ならへんな、たぶん」
 見上げれば、ケンタッキーの白い月。いえいえ、源氏物語みたいな黄金の月。ここは日本のど真ん中やで。カントリーの風も薄れて薄れて、バッファローもノラ猫にビクビクするよ。あのパチンコ屋がゴールドラッシュ。ラスベガスは砂漠の真ん中に、ボーリング場は田んぼの真ん中に。フォードのトラクターが空の高みを一列に並んで進む。銃声と初代ホームランキング。とうもろこし畑の真ん真ん中に小さなお墓。
「なあ、東芝さん、もっかいカラオケ行こっか」
「ええなあ」
「あいつらも呼んで」
「決まり!」
 チャチャ、スラッピングレザーのステップで。東芝さん、温かい手。
「私アイラヴユービコーズ歌ってもいいかな?」
「じゃオレホテルカリフォルニア歌うで」
「邪道やわ。チョコレートアイスクリームコーンにして」
「そや、東芝さん、雨の日と月曜日は歌ってよ」
「カーペンターズの? 関係ないやん」
「オレさ、あの曲聴いたら色んなことどうでも良くなんねん」
「しゃあないなあ」
 たかだ、あまぎ、いざわ。特筆することと言えば、この3人は3人でしか演奏しないということと、しかも一曲しか持ち曲がないということ。たかだ、あまぎのツインギターと、いざわの木琴でオリジナルのインスト。別に3人で閉じこもって変なヤツらというわけではない。遊ぶし、野球も上手いし、結構おもろい、おもろい? 普通のヤツら。おもんない3人組、と言われてまんざらでもない様子。しかしこいつらの曲の出来映えといったら、何か別世界の音楽みたいに光輝があるっちゅうか、天の甘糸ちゅうか、何百回も聞いてる内にすごく良くなってきた。もう誰が何を弾いてんのかもよく分からんくなってくる。音が迫ってくる。そのスピード感、そのムーディ感。一人一人は決して大した弾き手ではないんだけど、3人寄ったらえらいこっちゃ。曲が始まってしまえばラストまで突っ走る、目を瞑って走り出した3人が全く歩幅一つ狂わせずに400メートルを完走するイメージ。
 確かに。この3人が一番気取ってるかもしれへん。えー、そうか? ダサダサやで。ポロシャツズボンに入れて系やで。メガネべっこう系やで。靴下ちょっと短め系やで。クリスマスパーティに緑色のジャケット着て来て系やで。アホ! ええがな! めっちゃええがな!
「見ろ見ろ見ろ、デビッド・キャラダインの走り方のマネ」
 でもうちの同好会は部費がなくてドラムがない。去年まではあったのだが盗まれたので現在はない。仕方ないので横作はフィドル練習中。
 横作には好きな女の子がいて、まだ口もきいたことないらしいけど、女子バレー部の主将で一之宮さんという人間ロッキー山脈で、おいおい、年上、筋肉質、純情のスリービート。マニアックな趣味やな。一度カルーセル先輩に探りを入れてもらってんけど(あの人は顔が広すぎる)、一之宮さんの理想のタイプは野茂英雄だとか。
「それやったら横作にもチャンスがあるんちゃうん」
「いけるって」
 オレや斉藤や東芝さんや洗濯のような恋愛素人がたきつけるもんだから、横作は「やかましい」なんて言いながらもその気で、野球部のピッチャーを目の敵にしているからバカだ。野球部が練習している横で、わざわざオレ相手にキャッチボールをしたり。しかも横作ってばガタイが良いから野球部よりも良い球を投げるんだな、これが。
「次、フォーク行くぞ、フォーク」
 って、一之宮さんを意識しすぎじゃない? トルネード、砂埃、雁の群れ。うわあ、ほんまに落ちたよ! 今、ボール落ちたよ。見た? 見たか? 野球部。これが愛のパワーだ。
「日本のウィノナ・ライダーになりたいと思っています」
 というワケの分からない自己紹介を皮切りに、大いなる勘違い学生生活を送っている。大体、ウィノナ・ライダーとカントリーは何の関係もない。
 底が知れてんだよ。尻が割れてんだよ
 サヨナラホームラン以外では誤魔化しきれないような俺達のダメさ加減には、意味の分からない英語の歌詞が相応しいってもんでーす。
 今やオレ達は、この国のどこに生まれようと都市を故郷としてしまう。そう言ったのは誰だ。
  そんな別夫の写真を撮ったヤツは、自分のカメラの腕に驚くだろう。
  私ってこんなに上手だったかしら?
  そうじゃないよ。その写真をよく見てみな。右下の日付のところだ。オレンジで数字が入ってるだろ。そう、それ。何年何月になってる?  な、君が撮ったんじゃないんだ。だって、そんな未来、そこにはなかったんだから。別夫が未来を引き寄せたんだ。いや、言い方がまずい。別夫が光なんだから。
  人は知らないものに出くわした時、感動する。未来は誰も知らない。別夫は君達の生きている時間の流れよりもずっと速い速度の光を未来に向けて照射している。君のカメラはそっちの感動的な光を吸い込んでしまったんだよ。
 今日もそんな西の爆発に伴う濃い影
 それは、一瞬にして星が遠ざかるかのような出来事でした。
 頭上を見回せば、幾本もの相輪が森の上に頭を出して、僕を圧倒していることに気付きます。
 差し迫った12月29日。
「いよいよやなあ、今年も」
 などとわけのわからんことを呟きながら、分厚いコートをクロークに預ける。
「いよいよですね」
 って何がやねん、あーら可愛い店員。その綺麗なおでこをチュッチュチュッチュしたいわ。おでこよりも・・・おでこにしたいわ。うわー危ない危ない。入店お断りされるところでした。
 知り合いの誕生日パーティのため新大阪のバーに来ています。知り合いとは言ってもツレのツレで、オレはあんまり彼女のこと知らんのよね。というか興味ないし。背が高くて小尻、若い頃はモデルか何かしてたとか。ふーん、そんな感じ。悲しいねえ。悲しくはないか。
 派手で、伸びやか。笑い声がでかくて、誰にも媚びませんよ私は、てな雰囲気。集まってる友達も老若男女オシャレさんが多いねえ。苦手やわ。オレはね、毛糸のパンツをはいてるような女の子が好き。そんでボロボロのサドルが破れてるような自転車24インチくらいのやつに乗ってる子がいいな。サドルが破れてるから雨の日なんかに乗ると中のスポンジが雨を吸うてて、お尻が冷たくてパンツまで染みこんじゃう。ほら触ってみて・・・。たまらんな。
 ここに来る前に梅田で一杯ひっかけて来てるからエロくなっている。酔うとエロくなるし、古くなる。古くなるっていうのは、なんちゅうか、ノスタルジーに駆られるというか、ほんま男性ホルモンっちゅうのはそういうもんかな。記憶っちゅうのは物質なんかな。リバースリバース。宇宙の記憶が逆流するよ。
 さっき御堂筋線で淀川を渡りながら大阪湾に沈む真っ赤な太陽を見ていた。淀川もゆるやかに河口に向け流れている。新御バイパスを走る車の群れは一定のスピードで過ぎてゆく。オレは不思議な浮遊感の中にいた。西中島南方の駅が近づき電車は速度を緩め、吊革はまるで無重力のような変な揺れ方をした。
 なんか、おかしな予感がする。良い方? 悪い方? たぶん悪い方かな。
 行ったれ行ったれ。行ったれボーイや。
「みーちゃん! 来てくれたん。うれしいなー」
 今夜のヒロインが駆け寄ってくる。馴れ馴れしい。誰がみーちゃんやねん。
「みんなー、みーちゃん入場!」
 あー、ほんま苦手やわ。「こいつ誰やねん」て目でみんな見とるがな。おい、手なんか握んじゃねーよドレス女。
「うわ、冷たい手」
「それってさ、オレの初恋の子と同じセリフやで。恥ずかしいもん思い出させんなよ」
「かっこいいー」
「ま、嘘やけどな」
「ホンマのくせに。あっちに渡辺とか来てるで」
 奥のボックス席に見慣れた黄色いニット帽が見える。変態の渡辺と、さわやか周太朗。周太朗は早くも膝の上にベルバラみたいな女の子を乗せている。
「あのボケ」
「周ちゃんモテモテやで。渡辺はさっき何か知らんけどビンタされてた」
「すんませんなあ」
「いいけどねー。じゃ、楽しんでってちょうだい」
 ウィンクですか。すごいな。
「あ、ハッピーバースデートゥーユー」
「ありがとう。ほんま、みーちゃんだけやわ」
「何がやんねん」
 吉田佐和子。やっぱ苦手やわ、この女。なんかさぁ、オレ一回だけやったことあるねんな。それ以上のことは知らんねんけど。真っ青なパンツを履いてたことくらいしか知らんねんけど。ほんまほんま。嘘やけど。
 こいつ、やりながら泣きよった。上になって泣きよった。オレの腹に涙が落ちた。
 それだけ。
「ドンマイドンマイ」
 と渡辺の肩を叩く。
「お、みーちゃん遅いやんけ」
「あ、おつかれさまです」
 渡辺は学生時代からの親友で、周太朗はその舎弟。よく三人で遊ぶ。
「誰がみーちゃんやねん。つめろよ、奥」
 渡辺の横に座る。渡辺の舎弟ということは、オレの舎弟も同じ。ただ、オレ達はそこまで古い人間ではないので、あまり上下関係を重視しない。舎弟だけが膝に女を乗せていようが、今や実力社会なのだ。かなんな。
「何飲んでんの、それ」
「バドですけど」
「バドって何?」
「バドワイザー」
「あっそう。オレもそれもらうわ」
 周太朗がバーテンを呼んで「バド一つ」と注文する。かしこまる店員。
「この人は南水さん。泣く子も笑う業界人」 
「テレビの人ですかー?」
 素直なベルバラやなー。ただの家電業界の人間やけど、否定はしない。
「ま、広い意味ではテレビの人になるかな」
「オレはハムの人になるかな。どうも別所です」
 渡辺精肉店の息子は太りすぎ。席狭いねん。
「この子はマミちゃん」
「はいはい、よろしく」
 バドを飲む。
「ところで何、渡辺、ビンタされたん?」
「いや、オレが悪いねんけどな」
「そらせやろ」
「超強引に膝に乗っけようとしたら、暴れよって。仁王立ち、バッチーンやで」
「どの子よ」
「あの太い女です」
「もっと慣れた子にしやんな。あの子、一生の思い出になってもうたで」
「責任とろかな、オレ」
「周太朗も、私の責任とってくれる?」
「ええよ」
 一本の煙草を共有する二人。
「周太朗さ、オマエ気つけろよ。また肺の穴開くで」
「肺、すいません」
「病気なん?」
「せやで。特効薬は若い娘のオシッコだけやねん」
「マミので良かったらいいよ」
「ただサキちゃん、いつまでも若くはないやろ?」
「うん。マミですけどね」
「例えば結婚してやで、年をとっていった時にこいつは別の若い女のオシッコを飲み続けるわけよ。耐えれるかなあ? オレやったら耐えれへんなあ。分かってても耐えれへんかもしらん」
「マミはそんなセコい女じゃありゃしませんえ」
「オレはセコい女が良いけどね」
「セコい女なんておらへんよ。みんなすごいねんから」
 マミちゃんは思わせぶりな笑顔を見せる。こりゃあ今夜は4Pやな。
「オレさ、やっぱ責任とりに行ってくるわ」
 立ち上がる渡辺。
「アホ、座っとけ」
「行かしてくれ!」
「アホ」
「突然ですが、ビンゴ大会」
 イエーイ! 
「マミ、ビンゴって大好き!」
 いやいや、何やねん。誰やねん、あの蝶ネクタイの男。
「今年も恒例ビンゴの時間がやってまいりました。私、幹事で司会のビンゴ桜宮でございます。ドゥーユービンゴ?」
「イエス・アイ・ドゥーン」
「うわっ、あれ本物の村上ショージちゃうん」
「まさか」
「あんな貧相なん間違いないって」
「えーどれどれ・・・ほんまや!」
「ルールはいたって簡単。皆様のお手元に配られましたビンゴカード、まずは真ん中のフリーダムに中指をずっぽり挿し入れていただきまして、ぐちょぐちょぐちょ。ここからは誰もが平等、運命はこのルーレットのみが知るわけでございます。恨みっこなし、一発勝負のロマネスク、こんなところでその人の器が出るもんで、それは誰にも否定出来やしませんよ。さあ、来た来た。一年間の総決算。良かった人も悪かった人も。これに全てを賭けるのだ。なお、一等商品はいつもと同じ。来年の誕生パーティの権利だぜ。ワーオ。さらに今年は副賞もあったりなんかして。ワーオ。それはビンゴコールの後のお楽しみっちゅうことで、今は秘密でまいりましょう。ではではでは、運命の女神様に一投目入れていただきましょうか。昨年の覇者、本日のシンデレラガール、吉田佐和子様!」
 佐和子がルーレットに玉を放り込んだ。
「おい、聞いてへんで」
 と、オレは渡辺を小突く。
「大丈夫やって、どうせオレらなんかに当たらへんから。ここだけの話やけどな、毎年出来レースやのよ。最初っから決まってるんよ」
「へー、悪趣味」
 で、なぜかオレがビンゴなのだった。
「はい、王様。お名前どうぞ」
「南水です」
「みーちゃんに盛大な拍手をー!」
 イエ-イ!
 って、あんたら、来年ほんまにオレの誕生日パーティ来るん?
 そして、話はそれだけでは済まなかった。
「おい、頼むわ。オレ明日も忘年会入ってんねんて」
「大丈夫ですよ、僕と渡辺さんが代わりに行っときますから」
「マミも行きますから」
「ちょ、マジで?」
「マジでしょ」
 オレ、渡辺、周太朗、マミちゃん、ビンゴ桜宮と、そして佐和子は新大阪駅の20番ホームにいた。博多行きのぞみ67号。何じゃこれ、西村京太郎か。
「ホテルも全部押さえてありますから、何も心配することありませんよ」
「えーな、タダで旅行か」
「ちゃうって、絶対にこれJRの陰謀やって。こんなん何のCMにもならんから」
 もお、勘弁してくれよ。佐和子、オマエはヴィトンのボストンバックまで持って、何を考えとんねん。オレは今夜4Pの予定やってんで。
「ええ正月を迎えて下さい」
「は? いつまで行くの、これ」
「一応、三が日は向こうで過ごすことになってるから」
「佐和子さ、冗談きついて。帰るわ、マジで帰る」
 ニコニコニコニコしやがって、オマエら。このボケ。まあまあ、って、ちゃうやろ。そのさ、ありえへん。えー、ほんまに? 開き直るか。おもろいかもな。おもろくないって。今やから言うけどさ、オレ片想いの彼女おるんよ。ええとこまで行きかけてんねん。西田尚美に似た、ええ女やねん。大晦日に約束入れてんねんやんか。葉加瀬太郎のコンサート行くねんやんか。頼むわ。なんて、なんか言えへんな。だって、このまま行くねんもんな。あー、おもろいことになってきた。くっそお。渡辺やったら絶対にここで断るんやろうな。そう思うといよいよ断れへんがな。一緒になりたくないもん。さぶいよな。佐和子、泣くよな。あー、佐和子、オレの上で泣いてたなあ。あれはホンマにあったことなんか。で、これは夢じゃないのよね。
「おみやげ、全員もみじ饅頭で良いかな?」
「マミのはカスタード」
 夜の中を新幹線は西に向けて走り出した。

 広島県岩国市。米軍基地のある街。1月1日。快晴。国旗が高々と掲げられているが、風がないのでしゅんとしている
 想像していたのとは違っていた。基地の周辺は、もっとアメリカアメリカした町並みになっているのかと思いきや、正門の前にぽつりぽつりと古着屋やバーがある程度で、どちらかというと寂しい雰囲気。道端に地味なアメ車が停まっている。正門のところには銃をぶら下げた兵士が一人立っているだけで、そんなんでいいの? って感じがした。
 佐和子が生まれ育った街。
 オレ達は、正門から右手の方に回り込んで、フェンス越しに滑走路なんかが見渡せる所にやって来た。フェンスの向こうはアメリカか。浜省みたいやな。
「毎年5月5日の子供の日にな、米軍基地が解放されるんやんか。その日は誰でも基地の中に入れてお祭り騒ぎで、戦闘機とか戦車がいっぱい展示されてて、アメ車やら、ハーレーやらも所狭しと並ぶんよ。いかついバンドがひどい音でロックやりまくってて、露天では固いステーキとバドを売ってるから、みんなそれを買って、そこら辺に座りこんでな、戦闘機のショーを見るわけ」
 佐和子は一昨日も昨日も上で泣いた。
「中でも一番のイベントはな、実は一番じゃないかもしらんけど、私にとって一番のイベントはな、ボディビルのショー。小さい体育館みたいな所でやんねんけど、これがすごい、いかがわしい感じがすんねんなあ。どこのストリップにも負けへんで。あれを思い出すとさ、大阪で頑張ることもないんかなあ、とか思うわ。全然岩国でええやんかって」
 フェンスに凭れて話していると、フェンスの向こうに白人の兵士がやって来た。何か注意されるんかな、と思ったが兵士は笑顔で
「エイ・ハッピーニューイヤー!」
 と、言った。なんてさわやかな笑顔だろうか。
 佐和子は
「バンザイ・オショウガツ」
 と、両手を高く挙げた。
 兵士も「イエス、バンザイ」と言って手を挙げた。
 こんなんめちゃくちゃや。
 男には幸も不幸もないのだよ
 感謝すること、それだけを幸福と呼び得る。
 これまでの私の日々を幸福とも不幸とも呼ばないように、これから先の私自身の幸福なんてどうでも良いけれど、喪失感と孤独感に、つい私は意識的になってしまう。感謝も出来ないなんて、私の愚かさは取り返しのつかないところまで来ているのかもしれない。
 私は頭でっかちのバカ。行動が先立つ人々を見て憧れもする。でも本当は憧れてもいないのだ。そんなものに最後まで憧れ続けるくらいなら、性転換手術を繰り返したりすれば良い。
 本当に嫌だ。感謝と謝罪が同じになっているのだ、私は。
 私はこの国の言葉に慣れ親しみ過ぎた。だから私には今夜も恋人さえ出来なかった。
 愛の前身が欲しい。夏の海で白いスカートが風に揺れるような、かわいらしいペニスがかわいらしい割れ目に入り続けているような、そんな愛の前身を永遠に留めておきたいのだった。これまで私が溺れてきた愛は、どれも健気で麻薬的で刹那的でとても素敵ではあったけれど、私の頭の中に雨を降らせるにはどれもこれも短すぎて
 どんな愚かな出会いや愚かな行為にも、胸を締め付ける墓標が立ち、そこには一本の真っ直ぐな髪の毛が供えられている筈だから。
 これはね愛の前身の歌よ。そんなものは愛じゃないと言われ続けていきたいのよ。
 君は本当に愚かな女だね。それは愛の歌だよ。
 いいえ、正真正銘の愛の前身の歌だわ。
 物語も終わりに差し掛かっていた夜、私はスカートをたくし上げてちょっとだけパンツを見せてあげる。
 ちらっと見て、白だねと言った後、男はありがとうなんてことを言った。
 ちらっと見て、白だねと言った後、男はありがとうなんてことを言った。
 なんだか彼の心の震えというか下半身の高鳴り、彼の心の中に吹いた生温かい風が私の内にも流れ込んだ気がして、ううん私こそありがとうと言った。
 私こそありがとうと言われた時、僕は何と反応していいのか全然分かりませんでした。「あ、うん。こちらこそ」が精一杯で。
 でも思い切ってお願いしてみて本当に良かった。そう思いました。
 そして僕はもっと色んなことをお願いしようと彼女の元を訪れたのです。確かにそこには愛の前身があったと僕は確信していたのです。
 しかし何かのまやかしみたいに彼女はいなくなっていました。何の痕跡もなく、何の手がかりも残さず。部屋の表札は無くなっていました。午後、僕はアパートの廊下に立ちつくすのです。
 でも決して彼女の思い描く通りにはいきません。待ってろよ、僕は何も諦めちゃいない。そんな簡単な男ではない。三頭の獣とも一羽の鳥とも僕は違う。ましてや男らしさだって心得ちゃいない。
 僕が本当に彼女に思い知らせなければならないのは、そういうことに他ならないのです。「何を一人で盛り上がってるん?」
 振り向くとそこには化粧っ気の全くない、紫色のカーディガンを羽織った彼女が突っ立っていました。
「え、あ、表札は?」
「それよく盗まれるのよ。アイドルと同じ名前でしょ? 今もそれで交番まで行ってたとこ。物騒で仕方ないわ」
 僕は彼女に抱きついた。
「もお、何か用事?」
 と彼女は笑って言う。用事? お願いがあるんだ。
 窓を開ける。梵語の風が吹き込んでくる。
 だからリゾートの日付変更戦。
 向こうの角から鳥の着ぐるみに身を包んだ男がやってきて小鳥達はぎょっとして沈黙する。
 デネブの光を背負って、君の愛する人は真っ直ぐに君のことを思って自慰に耽っている。
いつか君が泣く。そしていつか泣きながら、君の愛する人は真っ直ぐに君のことを思って自慰に耽っている。
 私は忘れる。そしていつの日にか思い出す。
 夢?  何それ。それより、死ぬと分かってたら一回くらいやらせたげたのに。
 さっきまで静かに背を焼いていたカブト虫が飛び去った。
 避暑地の柔らかな日差しが林に注いでいる。
 埃一つない澄んだ空気を吸い込んで、大きな溜息をつく私。
 いかにも避暑地にやって来た令嬢風
 いくらタフなサヤカと言えど長距離の運転で疲れていたのだろう。薄暗い寝室の神聖なベッドの上、シーツにくるまって裸のままぐっすり眠っている。
 もうくたびれちゃったし、そういうのはもっとバカやってる時に思い切ってやっておくべきね。こうなってみると人生って何て長いのかしら。私、人生って言葉好きよ、とっても。
 私はサヤカのこんな軽口が好きだ。何に惹かれたかって、これに惹かれたのだ。私はうっとりした目でサヤカを見てしまう。サヤカの言葉は軽薄で、且つ、場だけはわきまえていて、こういう山奥の別荘などで二人きりの時にしか饒舌に話さない。
 速さのことを人は軽薄と呼ぶ。軽薄と呼び楽しみ、軽薄と呼び蔑む。
「クマさんはいわれのない罪で追われているのよ。親友の裏切りでクマさんが犯人になっちゃったてわけ。よくある話よ。親友の女が泊めて欲しいって家に来たのね。クマさんはその女のことが実は好きだったんだけど親友の恋人じゃない? 義理堅いクマさんは彼女を家に泊めて、でも親友には連絡したの。おまえの女がここに来てるぞって。そうしたらその親友は『もうそんな女なんか要らないからオマエの好きにしてくれ』なんて言うわけ。『そんなこと言わずに迎えに来い』ってクマさんは言うんだけど、何日経っても男の方は現れない。女はずっとクマさんの家にいて、クマさんの身の回りの世話を始めてしまう。その日々はクマさんにとって居心地の悪いものではあったけれど、これまでに感じたことのない幸福感があったのも本当だったの。このまま彼女と何もなかったふりをして生きていけたらどんなに良いだろうってクマさんは考えたわ。でもクマさんはバカだから、そういう自分を責めるわけ。頭の悪いクマさんなのよ。そしてふとした拍子で、何もない日に当たり前のように結ばれちゃうわね。やるだけやっちゃってからクマさんは男に会いに行く。ほんとにバカでしょ?」
 私はクマさんの表情を見ていたが、何も変わらない。自分のことを勝手に話されることも、バカだと言われることも、クマさんにとっては何でもないことのようだった。
「でも男の方はあっけらかんとしたものだったのよ。『もう言ったじゃないか。勝手にしてくれよ。俺はおまえらの幸せを祈ってるよ』って。何なんだろうね、親友って。私には分からないわ。それでクマさんと女は一緒に暮らし始めたんだけど、次第に女の方が本性を現し始めるの。彼女は完全な変態だったのよ。私とコジマのしてることなんて可愛いものだわ。女の要求は日に日にエスカレートしていった。それはベッドの中だけじゃなく日常生活にも及んだの。彼女の食べたものを吐き出してクマさんに食べさせたり、自分のことをロープで縛ってその先を柱に結びつけさせたり、そのまま何日も排泄したり何も食べなかったり、クマさんはとても怖かった。このまま彼女は死んでしまうんじゃないかと思っていた。そしてそんなある日、クマさんの部屋に刑事達が踏み込んだの。クマさんは何が起きたのか分からなかった。彼女を縛ったロープは解かれ、クマさんの首には手錠が嵌められたわ。彼女は行方不明者だったのね。最初、捜査はクマさんの親友の方に行った。けれど親友は『俺のところからもいなくなった。探して欲しい』とか言ったらしいわ。もう私なんかには何のことだか分からないわ。どうしてクマさんを陥れなければいけなかったんだろ。乱れきった部屋の中で縛り上げられた女を見れば、どんな刑事だって監禁されると思うわよ。ほとんど意識が朦朧とした女と、得体の知れない黒い小さなクマとでは、どっちがおかしいかなんて、そんなことを判断する能力、この国には用意されていないわよ。私だってそんなの無理よ。だから悪いのはその親友の男。本当のことを言わずに生きていける、その男が悪いんだけど、クマさんが言うには、それはあまり関係がないんだって。すべてはこっちが招いた問題で、こういうことで他人を責めるヤツは頭がどうかしている、なんて言うわけよ。『じゃあ、私の頭がどうかしてるって言うの?』って私が言うと、『頭がどうかしてる方が良いに決まっている』って、想像通りの答えしか返さないの。私はもう辛くって辛くって。『クマさん、泣いてるじゃない。どうして泣いてるのよ』って詰め寄ってね、『どういうことを訊くのは下品だ。分かっているくせに』って言うだけ。『下品だなんて言わないで』って言っても、『下品な方が良いに決まっている』って。ね、クマさん」
 赤い表紙の本が好き。なぜなら不吉な感じがするから
 オレは、赤い表紙の本の中で何が起こっているのか分からない。もう少しアタマが良くなりたい。岩井みたいじゃなく、もっとたくさんの身の回りのことを知って覚えて、そうして、オレが赤い表紙の本を書きたいと思う。手紙を書くくらいだから、文章を書くのは昔から嫌いじゃない。でもそんなのとは全然違う。不吉な感じがする物語の中で、オレが愛する人に伝えたいこと。愛する人が知りたいこと。
  でも結局、オレは今に至るまで本なんて書いたことがない。やっぱりバカバカしくて書ける気がしない。
 波の一つ一つに名前はない。
 その爪先が桃色に色づくのは知っていようとも
 ビストロSMAPに工藤静香出たことあったっけ?
 そんな夕立が憂いを帯び始めた夏の終わり。子供達はサクソフォンの音色に耳を澄ましていた。あべはそのことを考えていた。
 ラジオ体操から家に帰ると、天気予報は今日も残暑が厳しいと告げ、居間の電話がジリリと鳴り響くと、天気予報が今日も残暑が厳しいと告げ、京子は伸ばしっぱなしにしている髪をアップにして、さあ行こう、とビーチサンダルを履いて灼熱のアスファルトにゆらりと出て行く
 実家にうまいもんでも贈ろうか。
 冗談の上手な人になろうか。
 すべては絵日記にしてしまえば誰もがクレバスの濃い色で輪郭を縁取られた真っ赤な唇の天使。
 なあ、オレの薄いから中で出してええやろ?  それっておしっこじゃないの?  え?  おしっこだったら出してもいいわよ、私、そういうの始めて。うーん・・・・・・・出そうで出ない。がんばって!
 リベラはピッチャーやぞ
 8月最後の土曜日、湖の沖に重苦しい雲が停滞して今年一番の波が寄せていた。
 分かりきっていたことではあるけれど、雨は日が沈みかける頃にはからりと上がった。
 「何でもない写真」というキーワードがあった。
 風呂掃除をしながらそれについて考えてみた。
 そもそも「何でもない」とはどういうことだろうか、と。
「なあ、何かあったん?」
「・・・何でもない」
 本当に、何かがあるわけでもない。
 本当は、何でもないわけでもない。
 何でもない写真なのである。
 何でもない小説なのである。
 嗚呼、時に僕たちは、とても「何でもない」のである。
 風呂をいつまでも洗っているのである。
 こう書き始めると、まるで「何かがある」みたいだが、
 本当にこれは「何でもない」ものである。
「結婚して幸せかと尋ねられたら、こう答える。うん、楽しい。あと、いい小説が書けたら幸せだ」
「何をヒトリゴト言うてんの?」
「なんか二日酔いみたい」
 撮りすぎてもダメだし撮らなすぎてもダメだ僕は、と思っていたけれど、
 何のことはない。
 撮って撮りすぎることなんてない。
 問題は、書いて書きすぎているかどうか、だけなんじゃないか。
 いいかげんな男達を僕は愛している。
 いいかげんな男達に勇気を与えてしまう君を愛している。
 体位を何回変えるかが問題なのではない! どちらから体位を変えるかが問題なのだ!
 途中、一台も車見なかった。真っ暗な駐車場にも数台。この時期、なぜか空いてる。
 路上にウサギ二匹。鹿数えきれず。ひきかける。
 夕食(ぎんなん飯、太刀魚)。
「私の精神は今頃土星の辺りを遠ざかる。今から取りに行ってくるわ。そういうわけでさよなら」
 下半身がすうーっとして、おねしょ、かと思いきや泣いていただけ。
 鳴らせ熊鈴。鳴らせ彼女の着メロはジョンレノン『森の熊さん』。
 重力を研究してる女が好きだった。
 あの子は今どこで誰に抱かれて僕の名を呼んでいるのだろうか。
 妹の下着を700円で買うから高速飛ばしておいで。もちろん写真付きで。あと、助手席に改造エアガン乗せて、指出し革手袋で、サングラスで。
 前回までのあらすじ。
 国道24号線沿いのラーメン屋で出会ったネズミ女を口説き落とすことに成功した。
 ネズミ女は灰色のヨットパーカーとミニスカートで、モンベルのキャップを深々と被っていた。
 右目が冥王星で、左目が海王星だった。
 二つの瞳はこの星の速度からすれば信じがたい速度で自転していた。
 子宝に恵まれますよう、鬼子母神に。
 君は激しく傷だらけの歌を口ずさんでいる。
 おもむろに開いた頁で狂ったように鳴く鳥さえ愛おしい。
 体温計を君の身体に挿して、デジタルの数字が下降していく様、遠ざかっていく。
 壊れたブラウン管の赤い海を洗面器にすくって、
 曖昧な楽譜は、空っぽの男を何番目のコーダに隠した?
 キエトワスはプゲドテにジホンモしてパサテ。
 イヘソジュェディサーケいまにウエボのヘテソテイをいいこと?
 デイイイしてもいいこと?
 メヴォなんだ。プゲトテはメヴォインなんだ。
 フェジでウイトデッケすればベーすれば、ネドキだったんだ。
 僕は最近思うのですが、欲深さが唯一の僕の能力なのではないのだろうか、と、
 だから慎み深さを最良のものとする人(そんな人がいるのか)からは、鼻をつままれてしまうのでは、と思うのですが、慎み深い人は鼻をつまんだりしないので、それをいいことにやってます。
 今宵はラドクリフも立ち止まる。
 珍しく目が虚ろやった。立ちションの音にも勢いがなかった。
 やっぱり友達の証としてオナラを聞かせて下さい。そして耳を赤くして下さい。これはエロですが。そしてただの批評家にも写真が撮れたのです。
 座禅の息づかい。
 砕け散る光の輪を四方に眺めながら僕はもう動かない。
 そうやって僕は名も無き光に包まれてセル画の海に沈んだ。
「オレの記憶を全部あげる」
「そんなこと言わないで」
 言ってしまいたいことと、決して言いたくないことは妄想の中で区別がつかなくなっている。
「笑うなって言うてるやろ」
「誰も笑ってへんやんか」
「なんでやろ。なんでよりによってお前なんかにこんな話をしてるんやろ私」
「飲み過ぎたからに決まってるやんか」
「過ぎた? 誰が決めてん、そんなもん。これが標準や」
「かもな」
「アホやと思う?」
「思うよ」
「私な、私とお前の間には近い内になんかあると今思った」
「はっ。酔っぱらい」
「ほんまに」
 結局酔っぱらいの予言は外れた。
 今のところ。
 泣いても笑っても、馬鹿は馬鹿をしてしまう。
「全部捨てたいとか思ってるんやろ? そんなの誰だって同じやねんで。でもね、出来へんのよ。そんなこと。本当に」
 10歳も年下の派手な女はサーフのハンドルを握り、西向きのバイパスを飛ばしながら、たまりかねたようにそう言った。
「捨てるんじゃなくて、結局は手に入れていくしかないねんで」
 そして僕は黙った。
「旅にでも行こうか」
「つけこんでる」
「つけこんでるよ」
「どこ行くの?」
「どこがいい?」
「なるべく遠く」
 泣いた自分のことと、僕のことを笑って、人生に天気雨を降らせた。
 僕の人生に蛍光ペンで線を引くのは君なんだよ。
 君はすごいからそこでも言えるんだろうね。
 いつの間にか僕はさ、ライブ感でしか考えれてへん。
 なんだか面白い模様を紡ぎ出す。僕達はめちゃくちゃな日記になっていく。
 老ゴルファーのパーパットはラインを外れ、夕日に吸い込まれていった。
 坂を下に行こうよ、と妻は言った。
 僕もそう思っていた。
 銀色のベンツが100台連続で追い抜いていった。
 結局ブレッソン最終日に行く。
 友人のGは旅先で見かけただけの少女に再会するため一人飯田線に乗り込んだ。
 Kは恋人が高知行きのフェリーに乗っている間に庭でクリスマスプレゼントを燃やし犬を撫でた。
 Hは夕暮れのグランドの鉄棒に凭れた先輩の写真を卒業してもずっと持ち歩いていた。
 Uはずっと好きだった女から彼女の親友とのデートをセッティングされ、生まれて初めてのキスをした。
 「恐怖とは既に喪失している状態のことである」とフランスの哲学者は日本語で言った。
 小さく丸い肩。汚れ無き白い尻。無機的な髪の毛。絨毯に沈む二つお揃いの整った踵。ぴったりと同じ力で押しつけ合う二つの体だった。これまで二人の間に漂っていた大気はすべてどこかに霧散し、一緒に僕の中の恐怖もあっけなく消える。僕には彼女の中からの恐怖が消え去ったことを感じた。それは彼女が僕と同じ恐怖を抱いていたことを知った瞬間でもあった。
 夢の結晶が溶け凍てついて。
 保守。超保守。
 あのさ、超の意味を間違ってない?  もしくは保守の意味。もしくは意味の意味。
 僕はポルノグラフィティーになりたいと思ったことはないけれど、団伊玖磨にならなりたいなあ、なんて思う。
 三人の会。団伊玖磨、黛敏郎、芥川也寸志。
 三人祭。石川梨華、加護亜依、松浦亜弥?
 3B政策。ベルリン、ビザンチウム、若槻千夏? ちなっちゃん大好き!
 早すぎた。粥でも食べようと思ってたのに一軒も開いてない。ショーウィンドウに並ぶ「ちゃんぽん(上)」「ちゃんぽん(並)」に興味津々。中西太と中西清起の区別がついてない人が多いように思う。
「不倫をするなら長崎へ」っての。やばすぎる気がする。「何も考えることはないの。これが手コキっていうのよ」旅先で知るタイガースの勝利は格別のものがある。
 ぎらつく男の子達。色気づく女の子達。
 夢のラジオに出てきますか?
 僕達はこの街に対して愛とは何かを問うた。
 鳥が怖い感じで鳴きまくっている。虫もすごい。
 日記帳の中の愛。
 Kの銅像はニューヨークの自由の女神の横に倍くらいのサイズで。
 Aの銅像は全国のTipness。
 Mの銅像は神戸市灘区のYさんの家の庭。
 Tの銅像は食玩で。
 Pの銅像は彫刻家のうっかりでM2の見た目(満面の笑み)で。
 Sの銅像は全裸で。
 Cの銅像は『A2全集』の略歴資料写真の中に。
 A2の銅像は阪神甲子園球場の3塁コーチャーズボックスに。
 世界的なスーパースターも天才エリートも、入道雲を見る!
 カステラは売っていません。
「important マーボーはプルンプルン大佐を2006,3,16付でフリました」だって。
 人間というのは縦に長い生き物だ。
 それはあくまで重力に対して縦に長いという意味である。
 重力という謎だらけで不可視のエネルギーに満ち満ちたこのマンションで今、縦への志向が解放される。ミックジャガーに翼が生えたその日から。
 大晦日の護送車。
 「あほか」と女は言った。
 それはまるで賞でも発表しているかのようだと僕の目には映った。
 入っているのが薬指か中指かも分からない。
 高層ビルが好きだ。
 いつか人類は滅びながらも空に届くだろう。
 自分が一体何階でヤッているのかも分からなくなるだろう。
「俺は伝書鳩に跨って言う。『感じろ!』と」
 小さな水着はもう乾いていますか?
 ビキニの大切さって失ってみて初めて分かるものですね。
 Cが足が痒いと騒ぐ。
 足にたくさんの虫に喰われた跡が。もうすぐ夜が明ける。僕達の足跡を線で繋げばどんな星座に
 岡田は悪くない。
 見ろ、あれが諏訪湖の灯だ。
 旅館で風呂上がりに(様々な文脈をもって最後に)似たもん同志だと言った、Cの言葉は僕の夜を越えていくでしょう。僕らは僕らの金で僕らの好きなことをした。
 彼女は大きな欠伸の途中でぴたりと止まって言った。
 そういえばそんなこともあったんだ そして、「ふうん」。
 グラビアアイドルをしている親戚から電話がかかってきたら、テレビで観るのと全然変わらない愛想の良さで少し淋しいな。
 色んな言い方をすることが出来ると思う。
 現実逃避。ストレス性散財行動。慢性的慢性。
 勘違い家族サービス。自滅型睡眠不足。
 恥。躁的沈黙と鬱的饒舌。強迫観念。攻撃性。
 記録的暖冬の影響。無知と盲目と恐怖。清算。
 カワイイ子には旅をさせろ。壊れた本。
 フィクション。
 色んな言い方があるもんだ。
 極東why。
 狭いホテルっていいね。異邦人になった気がしてしまう。
 今回「why」の意味は、特に深い意味があるわけではない。
 なぜ・どうしてと迫るのはマヌケなことだけれど、なぜ・どうしてと思うことが悪いことじゃない。
 思ってしまう。「why」
 その実、その答えは漠然と分かっている。
 受け入れられないこともあるだろうし、納得いかないこともあるかもしれない。
 しかし優しい心の中では何となく気付いている。
 シャイな野郎には、シャイな友達がいる。
 遅れてきたAは舌打ちする。
 スコッチを傾けて、「バーボン」と呟く。
「そこのT似のオヤジ、下町のナポレオンもう一本」
「お客さん、もうやめときな。死相が出てるよ」
「ソウダヨ。泣かなくたって、ダイジョウブだよ。本当にバカ同士ならどうにでもなるもんダヨ」
「バカ野郎。自転車で信号待ちしながらオレがどんな気持ちだったか、分かるもんか!」
「それがね、分かるんダヨ。みんな同じような気持ちで一人信号待ちをしてるんダヨ。
 ホラ、あそこで信号待ちしてる綺麗な女を見てゴラン。女の目の奥の奥の海を見てごらん」
 祝いや、めでたさや、春、っていうのは、そんな風に、本人の眺めている遠くの山の向こうで起きている? そりゃそうか。拝承。と殊勝なことをさ、改札ですれ違った美少女を無視して思うのだった。
 参ったな。胸が熱くなるな。
 胸が熱くなると、いつも謝りたくなるな。
 ファインダー覗きつ震える左手で叩け我らが部室の門。
 消灯後は完璧に真っ暗、静まりかえる山小屋。寝言で笑ってた、C、大丈夫っぽい。
 さて、僕も森の中に行きたい。
 でも、本当は本の中に行きたい。
 試験が終わったら、夏やね。
 僕らのオイナゲッツ師匠。
 Tの家を出てタクシーに男四人で乗り込んだ瞬間に、
 師匠がダジャレなんか言い出して、ああ、パーティーが終わっちゃったな、
 と実感が涌きました。
 愚神の日記に唇寄せて
 国道19号線を北上。
 Nで食料の買いだし。Nだけは品揃えが本当に悪いなあ。
 店員の可愛い率は抜群に高いけど。
 かわいい男の子の店員に、「山でっか? 空気が薄おますさかい、気ぃつけんしゃい」と言われる。
 ロングスカートにノーパンの私は、見張り役の千年花を引き連れて梅田の地下街をウロウロしていた。終わったらピンクに塗って逃げよう。そう思いながら、スプレーを強く握って私は歩いた。
 ここから先は本当に文明の世界ではなくなる。
 相変わらず、顔を合わさないのでEが寝ているのか起きているのかも分からない。
 時折くすくす笑うから死んではいないようだ。
 簡易裁判所の上空に現れた流れ星に願いを。
 時間が許す限りもうちょっとそこんところに向き合って潜ってみる。
 夢に出てくる赤ん坊のことを繰り返し思い返して。
 毎日家に漂っているもう一つの命の存在感を見つめていたいなと思います。
「いりこのお腹開いて内臓抜いてたら急に水が出た」
 そう言って助手席でCは笑った。僕も笑った。
 雷が鳴っていた。空が青く光った。
 事実上の解散をしたところで何も変わりはしないんだろうね。彼らも僕らも。
「事実上」ってそういうことだろう。
「事実上の解散」は「空想上の永遠」が前提の言い方で、
「空想上の永遠」は「空想上の僕ら」を意味しているし、
「空想上の事実」は「事実上の空想」と同一だし、
 そんなことを言い出したら、結局「事実上、ピンとこない」としか言えないよなあ。
 僕は犬のおまわりさんをもう100回くらい歌ってる。(Sちゃんは荒城の月を歌われて泣いてた)
 高く飛ぶ程にその影は小さくなるけれど、怖がらなくたって、影が消えてなくなれば上下左右は入れ替わるさ。
 夏のスタデラ 友の写真の露出計る友。
 もうあんまり長くなさそうやのよ。
 耳がだんだん聞こえんくなってきてるみたいで。
 人間で言ったら84歳やって。
 人は米の炊きあがりを待ちながら好きな言葉で考える
 Aも言ってる。だから私達は生きていられる。
 苦しみや不安に無自覚で幸せな人なんかきっといない。
 それは慢性的な幸せの自覚よりもずっと幸福感に満ちた一瞬であり、何かにとても近い気がした。
 というわけで、11日に向け、部長の送る最初で最後の甘やかしスペシャル。
 これで堕ちるなら堕ちるとこまで堕ちてらっしゃい。
 その違いは決定的に違う。辞書をめくるスピードが全然違う。
 世界が彼らを失って久しい。失われた彼らは今も世界を守り続けているのだ。そしてこれからも。
 僕は確かに晴れた日に山の中の一軒家の庭先で、ギリシャ人シェフの作る自家栽培野菜のフレンチのコースをいただくのも本当に好きだけれども、通り雨が来たから小さなビーチパラソルの下に逃げ込んで、水着のまま発砲スチロールの容器とプラスチックのスプーンでパエリアを食べビールを飲んで雲を見るってのも好きだし、DDハウス2階の安い方であり混んでる方のバーの窓際の席で最終電車が梅田駅を出るのを眺ながら友達のバイトが終わるのを待ち、一人でションベンくさいアメリカビールをちびちび飲み飲み、薄暗い中で色とりどりのキスチョコを幾何学的な順序で食べるのも好きだった。
 どこかで誰かが公衆電話に向かって低い声で何かを訴えているのが聞こえてくるけれども、その内容までは分からない。
 ただ、彼は自分ではない他の誰かのことを必死になって懇願しているようだった。とても悲しい夜だけれど、もうこのままこの時間が続けばいいのにと思えた。
「知ってた?」「うん」
「死んでた?」「うん」
「信じてた?」「うん」
「もういや?」「うん」
「おなかすいた?」「うん」
「嘘つき?」「うん」
「大丈夫?」「うん」
「話したくない?」「うん」
「話したい?」「うん」
 行き交う質問と質問。それらは全部同じだった。
 北に行けば祠があるでしょう。
 やはり岩登りはストイックなものだった。冗談が通用しない。
 明日は明日の風邪をひく。
 ちくごがわ、誰が呼んだか、ちくまがわ。
 文盲の長すぎる思春期。
 梅雨前線が沖合200キロのところに見えた。
 いよいよ外に出やんなあかんのだよ。君。
 そしたら、時間はもう待ってくれないんだぜ。
 またも喉を腫らして唸っている私は女の子を聴いたりしている。
 抗生剤とロキソニンのおかげで今夜は女の子がとてもよく聞こえる。
 基礎論理学の導入部にでも載ってそうな文章だ。
 幾つかのかけがえのないささやかで確かな用件と、どうでもよさが肥大してどこにもない話を、相変わらずのメール形式で。
 時代は笑う間もなく変わりつつあるのかもしれない。あらゆる量はただただ増え続けているのかもしれない。しかし僕の内容が変わらない限り、速度を変えたりしない限り、旅の仕方が変わったりしない限り、無意味の否定を続けるこれら目障りで悪質で臆病で涙もろい取り返しのつかない行きずりのメールが変わったりはしない。
 あのこのなをかんするしゃしんしゅうというものをつくるときがくるとしたらね。

 

 

 

(End)

pagetop