ほそいかわ

 

 





 文ちゃんはいつも思案顔です。思案顔なのでぼくは不安になります。文ちゃんは何かをいつも考えている。何を考えているのか、とか、どういうふうに考えているのか、とか、そういうことは全然わかりません。友達の輪の中で話を聞いている時の文ちゃんの笑顔も、ぼくには思案顔に見えます。国語の時間に立って朗読している横顔も他のクラスメイトとはどこか全然違っているように見えます。上の空というのではありません。目の前にあることや、誰かの話について、文ちゃんなりに一生懸命考えているようにぼくには見えます。そしてぼくはその表情に不安を感じているのです。その不安は恋なんだと思います。文ちゃんもそうは思いませんか? 文ちゃんのいつもの思案顔をぼくは思い浮かべています。ぼくが世界で一番好きな顔です。
 でも大丈夫です。残念ながらぼくはこの手紙を文ちゃんに読んでもらおうとは思っていません。ぼくが臆病だから、というのもあるけれど、文ちゃんが本当に読むのだと考えるとまったく違うことを話してしまう、そのことを知っているからです。ぼくが本当に文ちゃんに話したいと思っていることを書けない、そのことを知っているからです。だとしたら、ぼくはそんなことを書きたくはないのです。
 ぼくが文ちゃんに話したいのは、文ちゃんのことが好きだということです。ただそれだけのことを言うのに少し時間がかかるような気がする。そして結局そのことについてはちゃんと言えないだろう。思案顔を思い浮かべる時、ぼくは不安になります。その不安こそぼくが文ちゃんのことを好きだという気持ちそのものだから、ぼくはずっと不安で、ずっと好きなんだと思います。
 不機嫌そうに見えているわけではありません。思案顔とは言っても眉間に皺が寄っているわけでもないし、口を尖らせているわけでもない。ただその目は話している人やそこにある文章を見ているわけではなく、時間みたいなものを見ているように思う。そのことの過去や、そのことの未来や、そういうことを思っているような顔をしています。憂いているわけでも、悲しんでいるわけでもなく、ただ考えている。何をどのように考えているのか、ぼくにはわかりません。
 ぼくなら気付かずに目の前をやり過ごしてしまうようなことも、文ちゃんは丁寧に見つめようとしているように見える。それが「正しい」とか「おかしい」とか「つまらない」とか、そういうことではなく、それが何なのかを文ちゃんの中や、文ちゃんの外の何かと照らし合わせて、ほどいて、最後は黒板を綺麗に消して、でもまだ考えている。ぼくにはそんなふうに見えます。
 文ちゃんはあまり話しませんね。尋ねられれば思案顔がまるで噓かのように淡々と、あったことや感じたことを言葉にして説明します。時に短い言葉で、時に少し長い言葉で。こういう言い方は嫌がられるかもしれないけれど、そこに迷いだとか混乱みたいなものは見当たりません。矛盾だって丁寧に角度を変えたものを見せられているような気がする。笑顔で、愛想だって良くて、とても親しげな雰囲気の中で文ちゃんは誰にだって接している。話している時だけはほんの少し思案顔は影を潜めるように思う。そして自分が話す番を終えたら、また元の思案顔に戻るのだけれど。
 人の話を聞いている時の文ちゃんの顔も特徴的です。特に面と向かって人の話を聞く時、それは思案顔に違いないのですが、困ったような悲しいような顔をして、とても丁寧に相手の顔を見ています。それは大変だったよね、それは悲しいことだよね、というよりも、それは考えさせられることだよね、と言っているような端正な顔がじっとこっちを見ている。人によってはそんなふうに感じないかもしれません。真剣に聞いてくれていると思うだけかもしれない。でもぼくにはもっと一緒に考えようと言っているかのような、そういう不安を迫るようにも感じるのです。
 前置きが長くなってしまいました。
 ぼくは最初から文ちゃんのことをそんなふうに思っていたわけではありません。
 文ちゃんは覚えているでしょうか。
 文ちゃんの短い髪がぼくたちのクラスに転校してきたとき、クラスの男子達にはさりげない緊張が走ったので、女子達も敏感にその空気を察したのでした。大きな黒板の前に立った、あの頃の髪型のせいだけではなく一瞬男子と見間違えるような鋭い眉と硬質な目、そして少し低い声に年頃の男子の何人かは胸の奥を深く突かれたような気がしたのです。それは目立って綺麗な女子に対して「あいつかわいいよな」「俺も思ってた」なんて盛り上がる種類のものではありませんでした。誰もそのことをおおっぴらに口に出来ない種類のものでした。ぼくも何人かそういう男子のことを知っています。
 直接ぼくにそのことを話した男子がいます。もう今なら話しても構わないと思うけれど、陸上部で長距離をしていた浦です。小柄で眼鏡で、もしかしたらぼくよりも地味な男です。文ちゃんは覚えていないかもしれません。
「初野」
 と浦は言いました。
 それだけです。浦がぼくに話してしまったのは彼の賢明なところでもあり、ちょっと臆病なところだともと思います。ぼくはそれを聞いたからと言って、特に根掘り葉掘り聞こうともしませんし、焚き付けるようなことも言いません。ましてや急に名前だけ口にするなんて、冷やかされても仕方がないようなことだけれど、でも冷やかせないような種類のものでもあります。
 ぼくは「うん。初野」と答えました。
 実はぼくは最初の最初から浦のように文ちゃんのことを意識していたわけではありませんでした。確かに文ちゃんはぼくたちにとって異物でしたし、田舎の中学生達にとってみれば手に負えないと同時に、想像力をかきたてられる格好の材料ではあったのです。ただ、ぼくには遠すぎる存在でもありました。ぼくは遠くから文ちゃんのことを見るだけで、まさか口をきくような機会も無いと思っていたのです。
 当時ぼくが所属していた学校の山岳部は男子部員しかいなくて、ぼくはそこに居心地の良さを感じていました。部室ではほとんど女の子の話題なんて出ませんし、だからといってストイックな体育会系の集団というわけでもなく、先輩も後輩もほとんどいなくて、下らない冗談を言い合ったり、たまに走り込んだり、校舎の階段を一階から四階まで何往復もしたり、今になって思えば無重力の、最後のユートピアだったかもしれません。
 顧問の陳先生は覚えていますか? 山に入ると厳しい先生でしたが、日々の練習は厳しくありませんでした。ぼくたちの卒業後すぐに退職されたそうです。退職に関しては暗い話も聞きましたが、何が本当だったのかは分かりません。
 卒業後、先生を街で見かけたことがあります。震災直後の街でスーツを着てバスに乗っていました。ぼくは座席に座っていて、すぐ横に先生が立っていたのですが、ぼくは声をかけませんでした。先生は先にバスを降りていかれましたが、歩道を行く足取り、どんな急登でも腕を組んで歩く独特な歩き方は、まぎれもない陳先生でした。おまけにビジネスバッグではなく、黒いナップサックを担いでいたのです。
 先生の退職後、山岳部がどうなったのかは知りません。山岳部の連中も今となってはどうなったのか知りません。
 ある日、職員室前の連絡板を見に行くと、急に部活が休みになっていました。山岳部の練習は基本的に毎日あって、軽いメニューが終わってもだらだらと部室に残っているのが常だったので、休みであっても誰か来ているだろうと部室を覗きに行きましたが、鍵がかかっていました。仕方なくぼくは帰宅します。校門を出るあたりで、ぼくは吉に呼び止められました。吉はあまり素行も良くない生徒です。他校でも有名で、本当か噓かわからないような下らない話がたくさんありました。ルックスは良かった。さすがに文ちゃんも吉のことは忘れていないでしょう。
「待てよ、営」
 大きな声で呼び止められたぼくは嫌な予感がしましたが、無視して立ち去るわけにもいきません。吉の立っている昇降口に行くと「相談があるんだよ」と彼は親しげに笑って言いました。
 一年生の教室がある南側の校舎の突き当たりで、吉がぼくに話すにはこういうことでした。今度グループデートに行くのだけれど、ぼくにも一緒に来て欲しい。相手の女子が、吉の普段つるんでいる連中のことは嫌だと言って、ついさっき女子の方からぼくが指名されたのだということ。吉が金は出すから一緒に来てくれ。あと、このことは吉が普段つるんでいる連中には内緒にしてくれ、と。断るなんて選択はありませんでした。ただでさえ当時からぼくはあまり断るのは上手ではなかったのです。当然気乗りはしません。そもそもグループデートなんてものに行ったことはありませんでしたし、女子と出かけるなんてこと、想像したこともなかったのです。引き受けたぼくは真っ先に「何を着て行ったらいいんだろう」と思っていたのです。そして相手の女子が鈴と文ちゃんだということを聞かされたのでした。
 この時に、ぼくは吉が狙っているのが鈴なのか文ちゃんなのか一言聞けば良かったんだと思う。そういうことを聞くことも出来ないところも、今のまんまです。
 ぼくはそもそも質問するっていうのが上手ではないのだろう。
 だから文ちゃんに不安を感じるというのも上手く質問をすることができないから、なのかもしれません。質問をするということは、自分のことを話すことと同じことなのだと思う。ぼくはぼくのことを文ちゃんに話すように色々な質問をすれば、文ちゃんもそれに真剣に、思案顔を少し解いて答えてくれるのだと思う。もしかしたら文ちゃんもぼくに質問をしてくれたりするのかもしれない。文ちゃんが考えているのは、もしかしたら誰かの質問のことなのかもしれない。そんなふうにちょっと思ったけれど、わかりません。
 ところでこの手紙はちょっとした山小屋みたいなところで書いています。薪ストーブは小屋のサイズに対して大きすぎて、小屋の中はすぐにむんと暑くなってしまう。なのでうっすらと開けた窓から、冷水みたいな冷気と、林のあちこちで暴れている風の音が入ってきます。三毛猫やかっこうは入ってきません。山小屋はもちろんぼくの持ち物ではありません。お金を出して二泊だけ借りています。今は夕方で、黄色い光が渓谷にも射して窓の外の落ち葉を温めています。携帯電話はアンテナが一本立つか立たないかの状態で、ここから十分ほどの大きな河原まで歩いて行くとアンテナが三本立っていました。大きな河原と言っても川は大きくありません。真ん中に細い川が流れているだけで、その両側に川幅の十倍もあるような広大な河原が広がっています。太古の昔には今では考えられないような巨大な川がここを流れていたのでしょう。そして河原の脇には森があって、それを切り立った斜面が見下ろすように挟み込んでいるような場所です。Frequent Appearances of Bearの看板が所々にあるような場所です。
 近くの林道まで車で運んでくれて、荷物も半分持って小屋まで案内してくれた管理事務所のおばさんはよく話す人だった。車から小屋までは歩いて十五分くらいで、その間、おばさんは本当によく喋った。舌を半分近く切ってしまっているそうで、聞き取るのが難しかったけれど、今の季節の森は美しいということと、どうして一人でこんなところに来るんだ、こういうところは彼女と一緒に来るものだ、みたいなことを言っていることはなんとなくわかった。
 帰りにはまた小屋まで迎えに来るから、と言う。チップを渡そうとすると、笑われて突き返された。あのおばさんの話を、文ちゃんが思案顔で聞いているところを想像すると吹き出しそうになります。
 日が暮れて寒くなってきたので薪を足します。良かったら次は文ちゃんも一緒に一度来ませんか。月は甘く光っているけれど、君は月よりも満ちている。
 グループデートの当日、ぼくが何を着て行ったのか覚えていません。文ちゃんも覚えていないでしょう。学生服でデートに行くような時代だったらどんなに良かっただろうと、何を着て行ったのか覚えていないのに思います。どうせろくでもない格好で行ったのだと思います。
 電車に乗って離れた町のボウリング場にぼくたち四人は行きました。吉がツレに会いたくなかったんだと思います。知らない駅で降りて、アーケードの商店街の中を抜けたところにボウリング場がありました。休日の電車の中で吉はぼくとばかり話をして、鈴と文ちゃんも二人だけで話していて、とても穏やかな時間でした。文ちゃんは紺色のワンピースを着て白いスニーカーを履いていました。ぼくは今でも紺色のワンピースも白いスニーカーも好きです。
 そうだ。思い出した。ぼくはパーカーを着ていました。黄色いパーカーです。そこに吉がボウリングの球を入れて、起き上げれないとふざけていたのを覚えています。鈴も文ちゃんも楽しそうに笑っていた。ボウリングのぼくの成績なんてたぶんひどくて、吉が気を使うくらいだったからたぶん文ちゃん達二人にも負けたんじゃないかと思う。細かいことはあまり覚えていない。
 二ゲームした後、ボウリング場のカラオケボックスに入った。それは今時のカラオケボックスとは違っていて、ボウリング場の隅に電話ボックスを広くしたようなのが一つだけ置いてあって、その中に四人も入ればいっぱいいっぱいのような代物だったね。一曲ずつお金を入れて歌うようなやつだった。文ちゃんも鈴もぼくもカラオケなんて初めてで、もしかしたら吉も初めてだったのかもしれないけれど、吉が最初にサザンオールスターズの『みんなのうた』を歌ったのは覚えている。なんだかぼくは意外な気がした。上手くなんてなかったし、どことなく恥ずかしそうではあったけれど、なんだかそういう吉のことが格好いいな、とぼくは思ったのです。今でもサザンオールスターズを見ると吉のことを思い出します。文ちゃんも、もしかしたら鈴もそうかもしれない。
 鈴がどうしているのか知っていますか? 子供が二人いて、鈴はコンビニで働いているらしい。離婚したとかしてないとか聞いたけれど、よく分からない。あの頃の鈴はどちらかというと派手で、でもどこか無理をしているような感じがした。高校生になった鈴と駅ですれ違ったこともあるけれど、ぼくたちは互いに挨拶もしなかったよ。鈴は男の子達と楽しそうにしていた。なんだか文化系って感じの男の子達、吉とは全然違う感じの男の子達と一緒に楽しそうにしていた。あの頃、男子の間で鈴は有名で、経験済だとか、そういう心ない噂が広まっていた。面白おかしいネタにされていたんだ。ぼくはどのあたりが経験してそうなんだろう、と思って聞いていた。
 本当のところはどうだったんだろう。鈴が経験してたかどうかじゃない。そうじゃなくて、本当は鈴がぼくのことを指名したのかな。どうして文ちゃんがあの場にいたのかな。吉が好きだったのは本当に鈴だったのかな。文ちゃんのことだったんじゃないかな。文ちゃんがぼくのことを指名したのかな。ぼくにはほんとうに分からない。あのグループデートの後、吉がその日のことに触れることは無かった。何かを口止めされることもなかった。鈴と吉が一緒にいるところも見なかったように思う。文ちゃんと吉が一緒にいるところも。そして鈴と文ちゃんもあまり一緒にいなくなったように思う。ぼくの思い過ごしかもしれないけれど。
 吉がまだ歌っている時だった。ガラス張りのカラオケボックスを、いかにもって感じの不良達が囲んでいることに最初に吉が気付いた。どこにでもある風景だった。ぼくにとってもそういうことは初めてじゃない。そういう時代だったんだ。ぼくはあの時の文ちゃんの顔だけははっきりと覚えている。怖いとか不安とか、そういう顔じゃなかった。目を伏せて何かを考えていて、そして顔を上げるとなぜぼくの方を見て『営、小説みたいね』と言った。すると吉も『小説みたいだ』と言い、鈴も『ほんと。小説みたい』と言ったんだ。
 吉はこういう場面に慣れている。吉が出て行って、今日は勘弁してくださいよ、と言った。でもぼくたちはボウリング場の外に連れて行かれて、小さな寒い駐車場の隅っこで小突かれたり、軽く蹴られたりした。軽く蹴られるのも、思いっきり蹴られるのも同じだ。吉は今日はもういいでしょう、とか、もう来ないですから、と言ったけれど嘲笑われるだけで、ポケットから財布を抜かれてしまった。吉の声は情けない男のそれじゃなかった。怒りを噛み殺すようなそれでもなかった。ありふれた言い方にはなるけれど、冷たい炎みたいなそんな声で彼らと交渉をしようとした。いや、交渉ではなかったのかもしれない。それは単なるシナリオみたいなものだった。もう今日というお話は、最初からこうなることが決まっていたかのように時間が流れるだけだった。結局ぼくたちは全員財布から札だけを抜かれて、またおいでね、と言われ解放された。吉は一万円くらい取られていたと思う。女の子たちがいくら持っていたのかは知らない。
 残された小銭だけでは帰れなかったから、女の子だけでも帰れよ、ぼくたちは歩いて帰るからと言ったのだけれど、鈴が家に電話をしてお姉ちゃんの彼氏に車で迎えに来てもらうことになった。駅前の生け垣の前でぼくたちは黙って車が来るのを待っていた。吉が「俺が誘ったから、金は俺が返すから」と言った。三人ともいらないと言ったが、吉は「返すから」と言った。
 あの後、吉からお金、返してもらいましたか? ぼくはその後、何も吉とは話していません。もしかすると女の子達にだけはお金を返したのかもしれない。それでも構わない。そもそも返してもらうようなお金では全くないんだし。でも吉は文ちゃん達にもお金は返してないんだろう、と思う。それでいいと思うけれど、吉はそのことを忘れていないような気がする。あの時、ぼくがどうしたら良かったのか、と考えることもある。勇敢に戦って抵抗して、女の子達を守り、みんなの財布の中身を守る。でもそれ以上に、ぼくたちが吉にもう少し優しくても良かったんじゃないか、と思うことの方が多い。そして、そのことが小さな記憶になって、遠い記憶になって、まるで誰かの記憶みたいになってしまうことにぼくの中の少年は未だ僅かな抵抗をしているように思う。
 『小説みたい』と三人が言った時、ぼくは何も分かっていなかったのです。あれは三人の強さだったんだと思い至るまでにもうしばらく時間がかかりました。小説というものを読んだことがなかったからです。今なら少しは『小説みたい』の意味がわかるような気がします。大人達がなぜぼくたちに本を読みなさいと言っていたのか、ほんの少しだけ分かるような気もする。そして反対に『本なんか読んでちゃダメだ』という言い方があるのも、分かる気はするのです。文ちゃん。今も本を読んでいますか? 本のことを思い出したり、しますか?
 鈴のお姉ちゃんと彼氏が迎えに来てくれて、ぼくたちは後部座席にぎゅうぎゅうに乗った。吉は歩いて帰ると言ったけれど、最後に鈴に引っぱり込まれた。定員オーバーだよ、と彼氏がぶつぶつ言っている。「金がなくなるまでって、中学生がどんな遊び方してんだよ」と運転席の彼氏が言って、鈴が急にしゃくり上げて泣いたから、よくわからないけれどお姉ちゃんが彼氏に「あんたはほんとに頭が悪すぎる」と怒った。怒られた彼氏もわけがわからないから不機嫌になり、車内が重い空気が流れた。鈴はぼくの手首を強く握って泣いていた。反対側を見ると、文ちゃんは思案顔で窓の外を見ていた。
 やっぱりよくわかりません。吉はどうしてぼくを誘ったのでしょうか。女の子がぼくを指名したというのは吉の噓だったのかもしれない、とも思います。鈴がぼくのことを指名することも、文ちゃんがぼくのことを指名することも、ぼくには考えられないことです。もちろん中学生の軽いノリで、誰でもよくてぼくが誘われたのかもしれない。けれど、あたりさわりのない誰かを誘うとしても、ぼくではない気がします。その方がありえない気がするのです。他の誰かの方が相応しいように思うのです。ぼくが一緒にいて楽しそうなタイプではないことくらい、その頃から自分で分かっていましたから。
 カーステレオから山下達郎の『クリスマス・イブ』が流れてきて、文ちゃんが「この歌、好き」と言った。思案顔のままで。そして誰もそれに反応しなかった。
 ぼくの片思いはこの日の車の中から今日まで続いています。左の手首を鈴に握られたまま、体の右側に文ちゃんのことを感じていました。そこにいたのは、華奢で柔らかい女の子でした。触ってもいけないし、真っすぐ見てもいけない、何を考えているのかわからない女の子のことがぼくは気になって仕方なくなっていたのです。泣いている鈴の力を左手首に感じながら、文ちゃんの表情のことばかり考え始めていたのです。
 文ちゃんは『クリスマス・イブ』本当に好きだったんですか? 今も好きですか? ぼくはあの頃はみんなと同じで好きでした。でも今はわざわざ聴きません。今日は聴いてみようと思って持ってきました。ぼくは文ちゃんの好きな歌は『クリスマス・イブ』しか知らないから。
 もしかすると文ちゃんは不思議に思っているかもしれません。あるいは信じてもらえないのかもしれません。どうしてたったそれだけのことで自分のことを好きになって、今でも好きでいるのかと。それはぼくにも分かりません。ぼくは卒業するまでの二年間、文ちゃんの思案顔ばかり見てきました。同じクラスだった二年生の時も、別のクラスになってしまった三年生の時も、ぼくは文ちゃんのことをずっと見ていました。気味悪く思われたくありませんが、家にいる時だって文ちゃんの思案顔のことを思い出していました。もしもそのことがうまく想像できないのだとしたら、文ちゃんは男の子というものをよく知らないんじゃないかと思います。でも文ちゃんは男の子のことを知っているんじゃないかと思います。それは経験豊富だとか必ずしもそういうことを言っているのではありません。ぼくも小説というものをあれからいくつも読みました。文ちゃんが小説というものを読んでいたのなら、そういう男の子のことを知っているんじゃないかと思います。どういうふうに文ちゃんが感じるのかは分かりませんが、ぼくが今でも文ちゃんのことをなぜか好きだということを、文ちゃんなら信じてくれるんじゃないかと思います。もしかしたら手に取るように生々しくぼくの気持ちを思い描けるのではないかとさえ考えています。
 思い出話に終始しましたが、ぼくがこのタイミングで文ちゃんに手紙を書こうという気持ちになったのにはちょっとした理由があります。その後、ぼくは大学を出て、社会人として働くようになり、そうこうしている内にぼくも小説を書きたいと思うようになりました。ご覧の通り決して文章が得意な方でもありませんし、誰かに褒められたりしたこともありません。不思議なものでそれでも書けるとぼくは思ったのです。書きたいというのは正確では無いかもしれませんね。書けるとぼくは思ったのです。そしてもっと不思議なことに、ぼくの書いた本を認めてくれる希有な人も現れて、ちょっとした本に掲載されることにもなりました。それからもいくつか本を書いてきましたが、あまり売れたり有名になったりはしなかったものの、たまに本に掲載してもらったりしています。そして先日、少し大きな賞をいただくことになり、正直に言うとそれを文ちゃんに伝えたくてこの手紙を書きに来たのです。それだけじゃありません。好きだということと、文ちゃんの思案顔と、文ちゃんの言う小説という言葉を頼りに、下手でも小さくても書いてこられたんだということを話したいと思ったのです。その思案顔で、不安なぼくの話を聞いてもらいたいと夢見て筆をとりました。ぼくの書くものは「中学生の書きそうな話」だとか「誰が書いてもおかしくない話」だとか言われます。それは悪い評判というわけではありません。ぼくはそう思っています。小説ってそういうものなのかもしれない、と思うからです。ぼくは誰かの代わりに書いているんじゃないかと錯覚することさえあります。あるいはぼくの代わりに誰かが書いてるんじゃないかと思うことさえ。今回は賞みたいなものを戴きましたが、こんなのは続くとは思えません。文ちゃんに話せるのなら今しかないと思って勇気もない臆病者が話せる内に話したいというそれだけで自分勝手に書いたのです。もしかすると結婚とか、しているかもしれませんね。想像することは出来ます。けれど現実味はありません。それはまるで小説みたいです。
 もうすぐあのおばさんが迎えに来るでしょう。少し部屋を片付けておきます。
 思案顔の文ちゃんへ。会いたいです。








 佐川 営 様

 お手紙、誠に勝手と知りながら拝見いたしました。私、文の妹の経と申します。
 何からお話すべきか、私はあまり手紙など書いたことのない人間ですので、美しく物事を整理してお話できるかというととても難しいとは思います。ただ、出来る限り丁寧に順序立ててお話したいと思います。大切な内容を含みますので、勝手に私のようなものがお手紙を読んだ上にお返事致しますこと、何卒御容赦いただき最後までお読みいただきたくお願いします。
 私個人は佐川さんのことは存じ上げておりません。お手紙の文面からすると、文とは中学時代の同級生とのこと。姉のアルバムを勝手に拝見し、佐川さんが文とは違うクラスにいらっしゃったことを確認させていただきました。私は文とは三歳違いの妹になりますので、ちょうど文の卒業と同時にあの中学に入学いたしました。お手紙の中に書かれていた学校の風景、懐かしく読ませていただきました。文面にございました山岳部のその後ですが、顧問の陳先生が退職された後、新たな顧問の先生が引き継がれていましたが、部員数も少なくなりわたしの在学中には休部状態か、あるいは廃部状態になっていたように記憶しています。書かれていたような階段の昇降などの練習を見かけることもありませんでした。陳先生の退職については、おそらく佐川さんがお知りの事情で間違いないかと思います。私も詳しいところまで聞き知っているわけではありません。ただ、先生の退職の日に当時の山岳部の部員達が校門のところで先生に花束とナップサックをプレゼントしていたのを廊下の窓から見ました。泣いている部員もいるようでした。私の記憶もおぼろげですが、先生が笑って校門を出て行かれたということは確かです。
 私は今、非常勤ながらも教師をしています。学校は違いますが中学の古文教師になります。それにしては文章がまずいと、作家先生にはおかれましては感じられることと思います。文にもよく言われたものです。私はよく学校で配布する保護者向けの通信などの添削を文に頼んでいました。当時どのように佐川さんの目に文が映っていたか、いただいた文章から察するに思慮深そうでもの静かな少女だと思われていたかもしれませんが、確かにそういう一面を持っていたと同時に、とても断定的に物事を決めるところがありました。ですので添削は清々しい程に速く決定的で時には私の書いた原稿が跡形も無い程に手直しされてしまうことも少なくなく、その内容もとても澄んだものに生まれ変わるのです。妹の私が言うことでは無いかもしれません、文は嫌がるかもしれませんけれど、とても文才の豊かな姉だったと思います。両親は良い名を付けたと思います。
 佐川さんの手紙は、私が文に読んで聞かせました。今、文は病床に伏せております。病気というよりは事故のようなものだお考えください。申し訳ありませんが、それ以上の詳しい経緯はお伝えすることが出来ません。事情が入り組んでいて、今の時点で家族以外の者にお話することは憚られるためです。数年後、あるいは十年程の年月がかかるかもしれませんが、お話できる時が来ましたら佐川さんには私、あるいは文の口から全てお伝えすることをここでお約束いたしますので、それで許してください。
 文は今、自分の口で話すことも、書くこともままならない状態にあります。そんな状態になり、もう丸二年になります。自宅にて療養をしておりますので、私と両親がその世話をしています。
 ある日の仕事帰り、私がポストに件の手紙を見つけました。女の勘でしょうか。その封筒の厚みと、手書きの宛名と差出人のお名前、そして遠い街からのお手紙であることに、昔の恋人か何かからの手紙に違いないと感じたのです。これは両親に見せるべきではない、とすぐに思いました。私達の両親は古風で、もしこのようなお手紙を見つけていたなら、封を切らないまま返送していたでしょう。わたしが封を切ったのは単なる好奇心からではありません。わたしは姉に届いた手紙を嬉しく思ったのです。夢見がちだと笑われるかもしれませんが、その内容に関わらず、誰かがこの不幸な姉にお手紙を書いてくれたということが、我が事のように嬉しくて、手紙を抱きしめたいような気持ちになったのです。自分の部屋に戻り、わたしは封を切りました。やってはいけないことだということは分かっていましたが、罪の意識や迷いはありませんでした。文がそれを望んでいるとわたしは信じきっていたのです。佐川営さんという方が、姉にとって大切な方だと妄想していたのです。
 文は異性関係に関わらず、あまり家で外の話をしませんでした。決して家族仲が悪かったわけではありません。特に私と姉は仲が良かったと思います。洋服を共有していたりしましたし、私の方は姉に自分の話をよくしました。佐川さんの仰る「思案顔」はわたしもよく知っています。あれは姉そのものです。人によってはあんな顔をされると話しづらいという人もきっといるでしょう。わたしは物心のついた時から文のあの表情と付き合ってきました。あの表情で真っすぐにこちらを見つめられる時、夕方の滑り台の上にいるような(喩えが下手ですみません)そんな気分になって、順序がバラバラで論理が矛盾だらけでも話さずにはいられなくなるのです。それはとても怖いことでもありました。いつも後になってみて、どうしてあんな話をしてしまったんだろう、と後悔することも少なくなかったからです。そしておそらくそれは感謝すべきことだったのだろうと思います。もしかしたら佐川さんと同じように。
 大変失礼ですが、あの手紙を読んで、佐川営という人をどれくらい私が信用したか、想像できるでしょうか。何度も繰り返し読み返す内に、わたしはふと思ってしまいました。この手紙は果たして本当なのだろうか、と。佐川営という人がどこかに実在することは写真を見る限り本当のようです。しかしこの手紙を佐川営さんという人が書いたかどうかは定かではありません。もし文が読むようなことがあれば、その内容からこれが佐川営という人の記憶であることは確認できたでしょう。ただそれにしたって、ここに登場する吉という人や鈴という人が佐川営という人のフリをして書いているのかもしれない、とわたしは考えました。なぜそのような噓を行わなければいけないのかは、わたしには分かりません。しかし、多くのことは第三者には全く理解できない形で起きるのではないでしょうか。
 もう少し勘ぐれば、ここに書かれている吉という人や鈴という人も本当に存在したのか、鈴という人の姉やその彼氏も同じです。わたしには分からないのです。もしかすると文にも分からなかったかもしれない。この手紙の中でわたしが確かに存在していたと言いきれるのは陳先生と、文本人だけなのです。疑いに取り憑かれるわたしは少し少女趣味が過ぎるかもしれません。それらが全て噓だったとして、その先にある事実には、ここに書かれている以上の、誰かから文への深くて澄んだ想いというものがあるのではないかと、思おうとしたのかもしれません。決して佐川さんの文への想いというもので飽き足らなかったわけではありません。私は私の物語を勝手に作り上げようとしたのでしょう。それはこの国の文学の正体かもしれません。わたしは古文の教師ですので、小説という言葉が生まれる以前を専門にしています。だから偉そうなことは何も言えませんが、何かを隠すように、何かを告白するように、その二つの技術というか揺らぎがあって、その揺らぎのまだ一つ奥の静かなところに想いがあるように感じるのです。
 この手紙の中で陳先生を除けば、文だけはわたしにとって確かでした。ここにいる文は、わたしの知っている姉だったのです。佐川さん、あるいは佐川さんを騙る誰かがこの文章で文に何を語りかけようとしているのか、果たしてそのような人が存在するのかすらわかりませんが、姉の中に入っていこうとする言葉があるということ、いや、文の思案顔に向かって語りかけられているということを、わたしは信じられると思ったのです。わたしはこの佐川営という人の話を信じようと思ったのです。
 手紙に添えられていたとてつもなく広い河原の写真。わたしはあまり旅行にも行きませんし、ましてやああいうところには行ったことがないので、自分が貰った手紙でも写真でもないのにまるで自分が連れて行ってもらえるような、喜びのようなものが胸の奥に光りました。わたしが見入ったのは雄大な山々でもなく、眩しい程に真っ白な大きな石で埋め尽くされた河原でもありません。その河原の中程に流れるという細い川、その姿をわたしは探しましたが、写真ではどこにも見つけることは出来ませんでした。いつの時代か、この河原の幅いっぱいに流れていた気の遠くなるくらい大きな川が、今はただ静かに何もかも忘れてしまったかのように流れている。そこに立つ佐川さんの姿を思い浮かべたわたしは込み上げるものを抑えることも出来ませんでした。
 手紙はわたしの口から文に読んで聞かせました。文は今とても安らかな顔をしています。それは佐川さんの仰るような思案顔とは違うかもしれません。まぶたと唇を閉ざし、白い額を露わにして眠り続けています。手紙を声に出して読みながら、わたしは姉が目を覚ましたりしないだろうかとちらちらその横顔を窺っていました。やっぱり少女趣味が過ぎますね。手紙を読み終えても、文の表情は一つも変わりはしません。誰の涙も流れません。でも、私には文が眠っているのではなく、何かを考えているように見えました。私は手紙を封筒に戻しながら「お姉ちゃん、これって小説みたいだね」と言いました。文はそれについて何か考えているようでした。
 このようなことを申し上げるのは、少女趣味が過ぎる女の無遠慮だと笑っていただいて構いません。私に答えられることでないのは分かっています。ですが、どうしても言っておきたいのは、文は吉という人か佐川さんのいずれかのことが好きだったのではないかということです。




 それに対する返信の手紙があり、日程を調整して来ませんか、というふうに佐川と経の手紙のやり取りが進んでいく。冬になる前に、経が佐川を訪ねることになるけれど、直前になって経は都合がつかなくなったと延期を申し出る。雪が消えてから改めて行きます、ということになった。その時に、経は姉と共用している紺色のワンピースを着て行く。そのようなことを書いた記憶が確かにあるし、その話を書き上げて、「ほそいかわ」というタイトルで友人に読んでもらった記憶もある。にもかかわらず、残された原稿には返信の下りもなければ冬も春もなかった。
 「ん5」というファイルに、
  ・紺色のワンピースの共用。姉の葬式かもしれない、をどのように伝えるか。
  ・文と経が同一人物である可能性をどのように伝えるか。
  ・「文に読んで聞かせていた」の記載が、あるタイミングでなくなる。
  ・全て女性(文)による朗読であることをどのように伝えるか。
  ・川をもう少しぶ厚く書く。
  ・「戦争なんて起きないわよね」をどこに書くか。
  ・佐川の暮らしが決して明るいものでないことをどのように伝えるか。
  ・経をより常識的に、より破滅的に。
 というメモだけが残されていた。
 もしかしたら書いた気分になっていただけで実際は書いていないのかもしれない。「戦争なんて起きないわよね」は、違う本に何度も書いている。
 わたしたちは似道について、あまりに何も知らない。
 明日の授業の準備を終えて帰宅するともう日付が変わろうとしている。テレビのニュースでは、毎日毎日何かと何かが対立している話。何かと何かの考え方が言葉を交わしている。面と向かって交わされる言葉や、誰かが代理になって交わされる言葉。推し進める声と反対する声は、反対する声と推し進める声だった。どちらも同じ目をしていた。どちらも戦争を回避しなければならないと言っていた。口調は激しくなり、時には暴力があった。抑圧もあった。暴力と同じ言葉もあった。とても似ている人々だった。多くの人々がいて、多くの人々がいる。
 
 似道は足首まで水に浸した暮らしだ。
 今宵はラドクリフも立ち止まる。
 北に行けば祠があるでしょう、と商人は言った。
 本当に嫌だ。感謝と謝罪が同じになっているのだ、私は。

 

 

 

 

(End)

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