わたしたちは似道についてあまりに何も知らない







 かちゃかちゃかちゃ

 2013年12月30日。曇り。

 かちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃ

 2013年12月30日。曇り。夕暮れ頃から風、強く、

 かちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃ

 不安を森の奥へ、山の頂へと吹き飛ばしてしまった。

 かちゃかちゃ

 それは

 それは、さよなら。




 思い出が誰か知らない人の手に渡る。
 誰もが軽度の記憶喪失であり、誰もが重度の睡眠不足だった。
 浅い眠りは夢を思い出にもしない。





 かちゃ









わたしたちは似道についてあまりになにも知らない















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 夏の終わりだから雲が流れている。
 あの子みたいだ。
 白がよく似合うし、風もよく似合う。
 光っている雲と、影になっている雲が一緒に流れていく。







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 似道。名詞。それは茶道や武道とはあまり似ていない。また、モノマネのプロの方々のことだけを指すのでもない。似道とは、あれとそれが似ているということを四六時中視界の隅で探し続けているクレイジーな世界のことだ。たとえば、純名里沙と京野ことみが似ていることを見いだすのはレベル2だ。世間様から白い目で「全然」と言われても決して不安にならない強い信念が求められる。ちなみにぼくは似道が好きだけれど、諸先輩の足元にも及ばない。特に女性の方々に似道の先生が多い気がする。そして、似道には毒がつきものだけれど、また愛のようなものも彼女達からは感じる。その昔、お願いして友人の卒業論文をコピーさせてもらったことがある。彼女は「似ているという感覚は愛しいという感覚と無関係ではない」というようなことを、もっとストレートに表現していた。ワタナベイビーの目と清志郎の目が似ているのは偶然ではない。似道レベル1。







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 ぼくが似道についてやっぱり書こうと思ったのには。
 誰を描いても、彼女に似ていた。
 もしかして。
 やっぱり何を書いても、彼女に似ていた。







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 窓際の席で居酒屋。店に入った頃より雨が強くなっていて、街灯のオレンジも滲みまくる。
 店長が傘をさして出て行って、ずぶ濡れの若い男を店に招き入れた。
 常連だろうか。前髪から水滴を、和やかに談笑している声は聞こえない。
 しばらくすると聞こえてくる。
 どうやら向こうの店にリチャードギアがいるらしい。
 同僚達の大切な話は、主に明るさについての話だった。
 明るくいこうよ、と誰かが言った。
 賛成。
 サラリーマンはみんな似ているという。
 そうだと思う。







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 似道という言葉を覚えたのは、ここ二年くらい。
 だからといって、それまで似道が存在しなかったわけではない。
 発見された多くの物事と同じように。
 驚きをもって発見されたものや、誰の関心も引かない発見や。
 何の役にも立たなかった発見や、忘れられた発見や。
 似道は宇宙人みたいな話じゃない。
 でも、宇宙人とぼくたちも似ているのだろうか。
 何一つ似ていないのだろうか。
 何か似ているのだろう。
 似ているとはそういうことだ。
 必ず、何かと何かは似ている。







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 ぼくはそのプロジェクトの新入りで下っ端で、右も左も分からなくて、プロジェクトルームの端っこの席で。
 唐突に会議室に呼び出された。
 廊下の突き当たり。
 大きな窓の外に都会を見下ろす綺麗な会議室。
 そこにはプロジェクトを取り纏めるリーダー達が顔を揃えていた。
 ぼくのようなものでも緊張する。
 何かやらかしただろうか。
 それとも、何か重要な任務でも。
「あべさんは、誰かに似てるんですよね。誰に似てるって言われますか?」







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 言葉も何かに似ている。
 例えば、日本語で話す限りぼくらの話すことは似ている。
 意見の対立する人々の話す言葉もとても似ている。
 日本語と外国語も似ている。
 そこには文字があったり、声があったり、文字も声もなかったりする。
 コンピューター言語も何かに似ている。
 たぶん考えに似ている。
 考えも似ている。
 考えが似ていることを、ぼくたちはどうやって知ったのだろうか。







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 自分だけじゃないよね?
 女の子達は素っ裸で生活していた。
 それは誰にも言えないことだった。
 けれど、いつの頃からかわたしたちは気付いて。
 みんな似たことを考えているということに。
 気付いて、当たり前になっていく。







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 わたしの話す言葉は、誰かの話す言葉だということと。
 誰かの話す言葉は、わたしの言葉だということが。
 書けないなんてことのない理由だというと、おかしいだろうか。
 誰かが書ける限り、わたしも書けるはずなのだ。







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 カーテンを 開けてと言われるその度に 雪かと思う こどもたち







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 似ているということと、同じであるということは決定的に違う。
 決定的にぼくたちはそれにこだわる。
 似ているだけではダメなこと。
 そうやってやっている。
 例えば、ぼくはきみじゃないとダメだし。
 きみはぼくではダメな時。
 そこには同一性の神話が立ちはだかっている。
 同一であることを求めるとは。
 たとえば、真贋について追求される時。
 似ているだけではダメだ。
 偽札は似ているだけじゃ使えない。
 まるっきり同じじゃないと使えない。
 まるっきり同じ工程を経て、まるっきり同じものであっても、それは同じではない。
 使えるのは、価値があるのは、本当に同じものだけだ。
 本当に同じだと言われたものだけだ。
 あるいは、生死を問う時。
 生と死がいくら似ているといっても、それが同一でない限り、それはダメな時がある。







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 どっからこんなに水が流れてくるんだろう。
 雪が溶けて。
 雪なんかもう何年も降ってないじゃない。
 それは、山の中の深いところに何年もたまってるやつがあるってさ。
 それにしたって、青いし、白いし、すごいし。
 CADでデザインしたみたいな真っすぐな川が伸びている。
 音の化け物。
 もう何万年も流れているそれは、いいかげん疲れたりしないのだろうか。
 疲れるに決まってるよ。
 木も岩も森も、もうとっくの昔に疲れているに決まっているよ。
 でも、仲間がいるから。
 彼らは、とても似ているから。







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 こつこつと預貯金してきた冗談を全て使い果たすくらいのつもりで。とは言え、そんな預金なんてないんだよね。こういう場所で言えるっちゅうんだから、もしかしたらそんな預金もあるのかもしれないね。








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 今は亡き銀行の キャッシュカードの暗証番号 そんな そんな合言葉があれば良かったのにね







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 似子は、自分の名前が嫌いだと言った。







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 堺筋本町の駅で似子と別れた後、しばらくホームに立っていたが、なんとなく少し歩きたい気がして地上へ出た。
 夏はむっとしていて、今日は夕立でも来るのかもしれないな、と思った。
 日傘をさして歩く人々の間を抜け、南へ南へと。
 日本橋で近鉄電車に乗って、そこから帰った。
 ひどい汗で、それは今の自分にとても似合う気がした。
 空調はきつく、生駒の駅に着く頃にはすっかり汗は引いてしまった。







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 似子というのは、残念ながらぼくが勝手に付けた名前ではない。
 似子の家族の誰かが何かを思って付けたのだろう。
 似道の人だったのかもしれない。そうであってもおかしくない。







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 どうして?
 好きなわけがないでしょう。
 あなた、自分が似一郎とか、似コブセンとかいう名前だったらどう思う?
 似コブセン?
 それに、わたしは似てるっていうのが全然わかんないのよ。
 芸能人の誰かに似てるとか、そういうの。
 全然似てると思わないの。
 ちっとも。
 これっぽっちも。
 似顔絵とかも、全然。
 似せようとしてるのは、わかるわ。
 モノマネとかも。
 でも、全然違うじゃない。
 わかる?
 あなたたちは別人よ。
 いくら仮に似ていると本気で思っていたって、ほとんどの部分は違うし、似てさえいないの。
 人相学的に言えば、ほんの数パーセントの似た箇所があるだけで、それは似ているということになる。
 そんなの、どうだっていいことだと思わない?
 その日の似子は、機嫌が良くなかった。
 どういうわけか知らないけれど、彼氏とケンカしたのだそうだ。
 わたしは、名前でなんて絶対に呼んで欲しくない。
 でも、みんな似子ちゃんって呼んでるよね。
 好きじゃない。







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 そんな自分の名前に関する偏狭なところを除けば、似子は中学生にしては冷静で大人びているんじゃないかと思う。
 中学生にしては。
 もちろん多くの部分は、同級生達に似ていた。
 ぼくにだって似ていたし、ちひろちゃんにだって似ていた。







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 似子にちひろちゃんに似ていることを話したことはないし。
(そんなことを話そうものなら、もう口も聞いてもらえないかもしれない)
 ちひろちゃんにだって、似子のことを話したことはない。
 それは、ぼくの中で似子への下心があったり、やましい気持ちがあるからではない。
 罪悪感のようなものはある。
 それにしたって暗いものではない。
 ただ、話しにくいことだった。







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 入塾説明会の時、既に似子は似ていた。
 教室に入ってきた時、またタイムスリップでもしたかと思った。







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 似子がちろに似ていると言う時、他の生徒達はちろに似ていないということになる。
 それはわかっている。







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 やましい気持ちはないとか、罪悪感がどうだとか言ってみたところで、塾の外で生徒と二人きりで会っているのは、ルール違反だ。
 本人達に「禁断の」とか「秘めごと」とか、そういう雰囲気は(もちろん事実も)ないとしても。
 ぼくはもちろんわかっていたし。
 かわいいもので、似子だってわかっていた。







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 だから似子は言う。
 あべくんみたいなどんくさい見た目の先生と会っていても、何の問題も。
 そんなの彼氏だってわかる。
 わたしの彼氏は嫉妬したりするような人じゃないのよ。
 そんな人はいないよ、似子。







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 幾冊も 栞も挟まず本を閉じ まだ目を開けて 何を見ている







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 自分がされて嫌なことは人にしない。
 それは幸せに生きて行くことの大原則なんだと、ぼくの好きな人たちは言っている。
 数少ない嫌いな人たちは、そうは言わないけれど。







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 似子と会うと、そのことを思わないことはない。
 それがもし夢の中の出来事であったとしても、同じように感じていただろう。
 ちろではなく、ちろに似た中学生が出て来たよ、と。
 似子に似た、ちろには言えずに思うだろう。







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 自分がされて、辛かったことは、人にしないし、言わない
 確かな記憶力を、どんな時も、そのことを忘れない記憶力を
 それくらいのことだけを、自分に望む、それくらいのことなんだから
 ぼくでも、それくらいのことくらいは
 ほんとうにそれだけを守ろう。無理してでも守ろう。そうしよう







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 だから、もう似子に会うのはやめようと思っている。
 授業でだけ、その少女のことを見よう。
 ちろに似ている、ほとんど九十何パーセントはちろに似ていない、その少女のことを見るようにしよう。







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「なまえはまだないっ!」というRNGの見得の切り方が素敵すぎて夏。







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 ハジメに、似子のことを話した。
 ママに似た女の子が幼稚園にいたらどうする?
 いるよ。
 いるの?
 ハジメというのは、ぼくとちろの子供で長男だ。
 まあ、臆病でずるく偉そうで純朴な泣き虫、ぼくとちろに似た少年だ。
 いるよ。
 誰?
 ナオちゃん。
 誰?
 ハギノナオちゃん。
 似てるの?
 うん。
 どれくらい?
 わかんない。
 顔が似てるの?
 わかんない。
 好きなん?
 ううん。はーくん、イオリちゃんのほうが好きやから。







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 ハジメもちひろちゃんによく似ている。
 それは当たり前のことかもしれないけれど。
 ぼくにはあんまり似てなくて、布団から顔だけ出てたりすると、時にちろと見間違える時がある程だ。
 泣き方もよく似ている。
 本人達はよくわかっていないと思うけれど。







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 パパに似てる子、幼稚園にいてる?
 いてるわけないやん。
 なんで?
 わからん。
 あ、いてる。
 誰?
 はーくんとりんちゃん。
 あ、そう。







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 夢の中に誰かが出て来る時、少し目を離している隙に、ちょっと別のことを思った隙に、別の誰かになってしまうことがある。
 自分だと思っていたら、それがハジメだったりすることがある。
 ハジメが戦争に行っていたりする。







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 ハジメが先週飲んだおはじき出ました。
 ご心配をおかけしました。







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 6さいが4さいに説教中。「うそついたらじごくやで!」
 たしかにそのとおーりだ。
 ひらがなで言うことだ。







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 りんちゃんは4歳。
 こちらは結構向こう見ずで声が大きくて落ち着きがなくて泣き虫。
 キラキラやフリフリが大好きな女の子だ。
 彼女の口癖は「すき」と「きらい」だ。
 パパすき、パパきらい、ママすき、ママきらい、はーくんすき、はーくんきらい。







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 男の子はどっちも苦手だものね。
 好きも嫌いも。
 そんなことないよ。
 そんなことあるよ。
 いいんじゃない?
 いいじゃないかな。







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 いっとうイヤな 歌うたふと言ふ いっとう好きな歌なんやとね







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 絹ごし半丁と木綿半丁をハーフ&ハーフで出してくる、君は和食の革命者だ







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 菜の花が 美味しいねと ぼくが言ったから それ春菊と 君が言った記念日







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 サラリーマン生活も長くなり、すっかり板についたような気がする。
 サラリーマンとはね、なんて新入社員に、あることないこと話せたりする。
 ぼくたちはゆるやかに変わっていく。
 変わらないように見えるに決まっている。
 変わらない部分があるから、そういうふうに見えるに決まっている。
 でも、どんどん変わっている。
 望むように、好きなように、変わって行く。
 ちろがぼくを導いて来た。
 ハジメとリンちゃんもぼくを導いてきた。
 これからもぼくを変えていく。
 それはそれはぼくの好きなように。
 そうであれば、いいと思う。







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 この前、さとるくんの言うことは難しいって言われたよ。
 と、ちろが言って笑う。
 難しいことを言ってるんだから難しいに決まってるって言っといて。
 ちろが笑う。
 知っているんだ。
 ぼくのことなんて、全部。







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「わたしね、山で滑落して即死したのよ。主人も即死だったんだけどね」
 と話しているおばちゃんと、微笑みながら聞いているおばちゃん達。
 御堂筋線。
 一夜明けても、やっぱり奇妙。
 聞き間違いかな
 お彼岸ってそういうもんでしたっけ?







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 どうしてこんなところにフェイウォンが!?
  と二度見しても痩せた男の子であることが多い。
 というか、まず間違いなくそうだ。
 もうあの頃の髪型じゃないのはわかっているのにダメ。
 せめて本人じゃなくていいから女の子なら、と思っていた。
 そして、今夜ついに。二度見したら、太ったオッサンでした。
 そのうち鏡でも二度見するようになるじゃないかな。
 似道は迷走中。







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 串刺しの フランスパンや お野菜を 風にくぐらせ 庭フォンデュ







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 ロウソクの熱でフォンデュ鍋が砕けて、ハジメとリンちゃんが固まった。
 そして慌てるパパとママを無視して、彼らは笑った。
 彼らの膝にかけた毛布の上に、細かな破片が飛んだのをママが払った。
 冬の庭には虫がいない。







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 あれ? りんちゃんオナラした?
 ちがうよー。ぷしゅーよ。







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 年末に、ちろと二人で山に行くことに決まった。
 信州まで足を伸ばして、テントで一泊だけ。
 こどもたちは実家に預かってもらえることになった。
 パパとママがいなければ、うるさく言う人がいないのでYouTubeを見せてもらえることがわかっているハジメは歓迎。
 リンちゃんはいまいちよくわかっていない。
 少しずつ支度の進んでいく、リンちゃんよりも大きなザックを背負う真似をして彼女は御機嫌だ。
 二人で山に行くのはいつ以来だろう。
 ハジメが生まれる前までは、毎月どこかの山に入っていた。
 冬なんて毎週のように。
 遠い過去みたいだ。
 どこの山も、どこかの山に似ている。
 小さな山も、大きな山もとても似ている。
 同じ山にはほとんど登らない。
 いつも似た山に。







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 SUNTOのコンパスが見つからないとちひろちゃんが言っている深夜。
 ぼくはテレビの前で転がって、いつもいつかどこかで見たようなテレビで見ている。
 テレビを見ながら、手元のSNSで友人達と「誰かは誰かに似てるよね」とメッセージを送信し合うのだ。
 いつも最後は、すべてが似道の雨が降って終わり。
 あった。
 リンちゃんのおもちゃ箱に入ってた。
 コンパスの横の小さな温度計は二十二度。
 もうすぐだよ。コンパスくん。







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 ほんとうはハジメもリンちゃんも連れて行きたい。
 山を好きになって欲しいからとか、そういうのじゃない。
 どこにでも一緒に行きたいだけだ。
 ちろはよく言う。
 こどもたちは、どこにいても一緒。
 こどもたちといれば、どこでも一緒。
 そうだね。







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 どうする?
 大きいカメラ持っていく?
 小さいのにしとく?
 寒いから、大きいのにしとく。
 自分の着替えくらい自分で準備してよ。
 ぼくのなんてすぐだよ。
 言って、チャンネルをパチパチして。
 南半球は夏なんだって。







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 大貫妙子を見る度に「大貫妙子に似ているな」そう感じているのは君だけじゃない。







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 ビール一本しかない。
 飲みたいな。
 わたしも。







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 秘伝のタレや企業秘密に、消費者庁もぼくらもテンダネス。







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 こちらが誘わなければ、似子から声がかかることはなかった。
 受験に向けた授業も佳境。
 模擬試験の結果を見る限り、似子はそれなりに順調。
 このままいけば、志望校のどこかには受かるだろう。
 そもそも不合格の似子なんて想像が出来なかった。
 似子の彼氏はよく勉強ができるそうで、とても同じ高校には行けないらしい。
 似子は髪を切った。
 相変わらず、ちひろちゃんによく似ていた。







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 ある朝、目をさますとハジメとリンちゃんがパパの髪の毛はぐちゃぐちゃかもじゃもじゃかを言い合ってたことがあった。
 そんなしょうもないことで時間が過ぎていく、いつまでもそんな家庭であれたらいい。







 58 / 1692



 ジャケットを 置き忘れてや 光堂







 59 / 1692



 春。
 塾は新入生を迎えるけれど、受験シーズンが終わって、一時の落ち着いた顔を見せる。







 60 / 1692



 かねてから計画していた北国へ強引に行ってきた。
 お願いして、話し合って、紆余曲折あって、家族四人で行くことにした。
 ぼくとちろの二人で決めたことだった。
 危険なことはなにもなかった。
 でも、とても疲れる旅だった。
 それでも一人で行かず、一緒に行って良かったと思う。
 こういうものを見たよ、こういうことを考えたよ、と帰ってきたぼくは話すだろう。
 しかし、リビングのぼくはうまく話せないだろう。
 なにもなかった?
 テレビと同じだった?
 テレビとは違っていた?
 何と答えればいい?
 そのリビングに冗談は有効ではないと思う。
 一緒に見て、言葉を失い、ごはんを食べて、温泉に入って、こどもたちの相手に明け暮れて。
 笑って、怒って、買い物して、仮眠して、延々と走って帰ってきた。
 それだけ。
 ちろとは同じものを同じように見た。
 似たものを似たように見た。
 ちろと話すことは残っていないと、ぼくは思う。







 61 / 1692



 海岸線を南下。
 人のいない町をいくつも過ぎる。
 緊急地震速報にすぐ対応できるよう、よく知らない明るいAMラジオを結構な音量で聴きながら。
 穏やかな海と瓦礫を横目に走る。
 眠る子供達を乗せながら。
 奇妙な緊張感や不安感をぼくたちは呼吸した。
 緊張感や不安感に似た弛緩した表情をぼくたちはルームミラーとサイドミラーに映した。
 途中、ラジオから流れた『ムーン・リバー』に寒気がした。
 今日の『ムーン・リバー』はやけに長い気がした。







 62 / 1692



 いつもと同じ旅日記。
 そうじゃないとテレビやネットや新聞みたい。
 でも写真は少ない。
 夜通し走って到着した、安達太良山登山口、岳温泉。







 63 / 1692



 ちろがいい写真を撮っていた。
 ほとんど徹夜明けなのに、ハジメの希望で午前中から温泉に入ったらぼくたちは睡魔が。
 片道950Km。
 ぼくたち夫婦の最長不倒となった。
 うるさいリンちゃんの外食禁止令が発令中、車中食、車中泊の3泊2日。







 64 / 1692



 聴いたこともない福島の城跡公園で昼食を自炊。
 こどもたちを走り回らせたり、昼寝したり、仙台着は16:00を過ぎた。
 翌日は仙台でハーフマラソンとか。
 前夜祭は結構な人出。
 東北最大の都市は、博多や広島に似て、うきうきしてくる。
 観光。せんだいメディアテークでパジャマで遊ぶ子ら。
 公共。フリーペーパー。古書店。牛タン弁当。
 日が暮れる。







 65 / 1692



 翌日の予定を見込み、少し移動した高速道路のPAで就寝。
 夕食は三越の地下で買ったタイムサービスのお弁当。
 3個894円。
 車中、ダンボールテーブルとランタンの明かり。
 ぼくは直前の自転車事故の影響で口が痛すぎてまともに食べられない。
 食後は暗い車内でお絵描き。
 ぼくとちろは体力の限界で、精神力。
 就寝直前にテントが良かったとハジメが号泣。
 彼も疲れていたのでしょう、おかしくなっている。
 強風の中、PAでテント設営。
 パパとハジメはそちらで寝ることに。
 経験だけ。
 5月は寒い。
 ハジメは寝袋と毛布で熟睡。
 強風に煽られ軋み続けるテントに、ぼくはよく眠れませんでした。
 スマホでWikiの記事をずっと読んでる。
 当時はまだ出会ったばかりの似子から、明け方にメールが届く。
 先生、もう着いた?
 着いてるよ。
 それだけ。







 66 / 1692



 一人ではテントが撤収できないくらいの強風の快晴。
 北国の朝は早い。







 67 / 1692



 もし「どうだったか」と訊かれたら、ぼくは「静かだった」と答える。
 ぽつりぽつりと行き交う車も、落ちたまま放置された橋も、献花台に結ばれた鯉のぼりも、遠くで青黄赤と色を変え続ける待つ人のいない信号機も、山も河も無傷の家も、ぼくもちろも、こどもたちも、みんな静かだった。







 68 / 1692



 月曜の朝六時。
 新東名高速道路静岡SA。
 なんとか幼稚園の給食には間に合わせたい。
 全行程2000キロ。
 交代で運転したとは言え、ちろは本当にすごいな、拝みたくもなる。
 君たちのママはなかなかだぜ。
 こんな旅行、覚えてもないんだろうな。
 覚えてるかどうかなんて、どうでもいい。 







 69 / 1692



 早朝の名阪国道を飛ばしながらHJMにお歌を習いました。
「ちがうねん。もっとゆっくりうたうの。あついおふろにおみずいれたらぬるくなるやろ?そんなかんじでゆっくりうたうねん」







 70 / 1692



 たまたま以前通院していた病院を見かけ、その看板が雨風に色褪せているのを見ると、あれから流れた時間のことを思うし、実際はそれほど時間が経ったわけでもないのにそれはもう一昔前の出来事のような、その病院に戻ることはないかのような、自分は晴れているかのような思いがよぎっては、なにを考えてるんだと、背筋を伸ばす。







 71 / 1692



 12月29日の出発まで、あと一週間を切った。
 その頃のことだ。







 72 / 1692



 クリスマスイブもクリスマスも仕事だから、事前にパーティを終えた。
 サンタさんを見たとハジメとリンちゃんは言い張った。
 パパとママだって君たちを騙くらかそうとしているのだから、それについては何も言えない。







 73 / 1692



 終電生活者のおやすみなさいを言うまでのささやかなたしなみ。
 改札から最も遠い車両からホームに降り立つ。一番最後に改札を出ながら、心の中で駅員さんにおつかれさまと。
 そして、明かりを点けずに風呂に入って、おやすみなさい。







 74 / 1692



 いつもあとがきに書いているけれど、こうやってベタなことが書けるのは嬉しいことだ。
 ベタなことをベタに書くのはどういうわけか難しかった。
 ほんとうに、どういうわけだ。
 ベタなのはぼくたちの生活だ。
 難しかったのは、ぼくたちの生活が書けなかったということなんだろう。







 75 / 1692



 似子から数ヶ月ぶりにメールが届いた。
 戦争のことが書いてあった。
 映画を観たのだそうだ。
 あべくんはどう思う?
 とは書かれていない。







 76 / 1692



 そういえば、何人か立ってる人がいる程度の、家路辿る電車の中で、目を閉じたり、無表情にケータイをいじったり、書類に目を通したりしている男の人達を見ていて、みんなかつては子供だったんだなと思うと、みんなしゅるしゅると小学生くらいの男の子になって、そこにはかっこつけだったり、だらしなかったり、こそこそしてたり、たっぷり面影がある。気づけばぼくも少年で、眼鏡もかけちゃいないし、髪の毛ももぢゃもぢゃぢゃない。ぼくは漢字も少ししか知らないし、よく間違ってしまう。子供たちはそれでも一人で電車に乗って会社に行って、おくびにも出さずに働いて、家に帰れば、好きなだけテレビを眺めて、何かを口走ろうとする。子供たちは、何かを、思い出せない、思ったこともない、何かを、口走ろうと、虚空を、子供たちは、大人になった自分の姿がテレビに流れていることにも気付かず、虚空を 。子供達の澄んだ瞳は虚空を。







 77 / 1692



 パイロットは雲の中から出て、北京の郊外に進路を取った。
 その目には、相変わらず溶け落ちそうに目映い光の渦が飛び込んだ。
 雨の中、村の出口まで見送ってくれた妻の姿が思い出された。
 大きな白い傘をさした彼女の口の動きはさようならだった。
 どういう意味だろう。
 規定のルートを辿り、規定の高度を保ちながら、パイロットはそれを考えている。
 もう何度も同じ村の出口で、妻に見送られてきたけれど、さようならなんて言われたのは初めてのことだった。
 もしかするとそれはパイロットの勘違いで、彼女はもっと別の何かを言おうとしたのかもしれない。
 あるいは、何も言っていないのかもしれなかった。
 しかし、それはさようならに似た何かなのだと彼は思った。
 機体が左に旋回する。
 重苦しい雲が傾く。
 さようならに似た何かって一体何だ。
 降りたら今夜は何を食べに行くんだ、とカナダ人の副操縦士が言っている。
 美味い茸を食べさせる店があるから、そこへ行くんだとパイロットは答えた。
 一人で行くのか。
 そんなわけがないだろう。
 CAの誰かか。それとも下にいるのか。
 ワイフだよ。
 パイロットがそう言うと、副操縦士は笑った。
 そうだった。レコードされてるんだったな。
 違う。こいつは何も分かっていない。
 わたしは、村に置いてきた妻と、妻の好きそうな茸料理を食べに行く。
 光の渦が近づいてくる。
 不吉な闇の中を優雅に飛んでいる。







 78 / 1692



 もう連絡してこないで。







 79 / 1692



 似ているという感覚は、神経のかなり早い順位で処理されているようだ。
 ぼくは真っ先に似ていると思った。
 似ているという感覚は、もしかすると何かの防衛本能かもしれない。
 人間以外の動物も似ているという感覚を持っているのだろうか。
 それはどうやって確かめることができるのだろう。
 人が感じている似ているという感覚さえ、うまく捉えることができないというのに。
 自分が感じている似ているという感覚さえ、まるで何かに似ているとしか思えないというのに。







 80 / 1692



 ほんとうにぼくたちは似ていると感じているのだろうか。
 ほんとうはもっと別のことを、ぼくたちは似ていると呼んで、その先に進もうとしないだけではないのか。
 似ているというのは、誰かが作りあげた、人間を、歴史を作りかえようとした誰かや、行き場の無い恋に疲れ果てた誰かが生み出した、方便のようなものではないのか。







 81 / 1692



 かつてちろも言った。
 もう連絡してこないでと。
 がちゃりと。
 残されたカセットテープをぼくは擦り切れるくらい聴いた。
 その淡いグリーンの120分の南国の気だるい音楽をこっそり隠れて聴き続けた。
 ぼくは、そういう人達と似ている。







 82 / 1692



 何かを返さなければいけないと思った。
 どのような内容であれ。
 何も返してはいけないと思った。
 どのような内容であれ。
 その文字の向こうには似子がいる。
 似子の向こうには何もない。







 83 / 1692



 似ていると言ってはいけない。
 思ってはいけない。
 そんなことは知っている。
 ぼくは似子を知っている。
 ぼくはちろを知っている。
 似ていると思うことは、二人への侮辱でしかない。
 もしも、ぼくと別の男が似ていると、ちろが言うとする。
 似子が言うとする。
 ぼくは冷静でいられるだろうか。
 いられない。







 84 / 1692



 双子が、ぼくと誰かが似ていると、二人して言うとする。
 ぼくは冷静でいられるだろうか。
 いられない。







 85 / 1692



 似ているという感覚はとても危うい。
 その無垢な感動とは裏腹に、少し行っただけで破滅の気配がする。
 浅瀬の先に、ひどく暗く冷たい深みが控えているような。
 似道は足首まで水に浸した暮らしだ。







 86 / 1692



 やっとわかった?
 と、ちろが。
 だから言ったじゃない。
 と、似子が。
 冬なのに寝汗をぐっしょりと。
 ちろの横にも、似子の横にも、ぼくに似た誰かが。
 それは夢なんかじゃない気がした。
 夢に似た何かな気がした。
 何に似ているのか、いつものように目を閉じて探る。
 ページを凄いスピードでめくる。
 ぼくに似た誰かは本当に誰だ。







 87 / 1692



 似子は授業に来なくなった。
 彼女と同じ学校の友達に聞いてみたが、学校にも来ていないと言う。
 でも似子にそっくりな子を町で見かけたよ。ね?
 うん。そっくり。びっくりした。
 でもあれは似子じゃないよね。
 うん。絶対違う。
 どうしてわかるの?
 うーん。どうしてだろ。そんなのわかるよ。
 だって似てるだけだもん。
 ね。







 88 / 1692



 直前にいけないことをしたリンちゃん。
 パパとお兄ちゃんに寄って行って冷たくあしらわれる。
 背を向け去りながら歌う
「♪とぅもろーとぅもろー」
 どこで覚えてきたんだろう。







 89 / 1692



 大丈夫だよ。
 連絡したりしない。







 90 / 1692



 この忙しい年の瀬に東京に出張。
 何もこんな時期じゃなくたって、と思うけれど、そういうものではないらしい。
 みんな真面目な顔をしている、そういうものなのだ。
 どちらかと言うと、一日早く休みをもらって30日に冬期講習に穴を空けるぼくがおかしいのだから。
 生徒達は目の色が変わってきた。
 いい季節だ。
 壁に張り出された模擬試験のランキングに似子の名前は無い。







 91 / 1692



 東京から戻ったらいよいよ山の準備をしなければいけない。
 ホテルに向かう前に神田の山用品店に寄って、ちろに合うのを選ぶ。
 22.5cmの誰のものでもない、靴のものでしかない靴を、わかんに縛り付けて。







 92 / 1692



 いくたびも 雪の深さを 尋ねけり
 好きな句だ。
 東京にも雪が降った。







 93 / 1692



 東京駅から電話。
 ハジメとリンちゃんへのお土産は、お菓子でいいよとちろが言う。
 2周したよ。
 結局カスタードの人形焼きを買ったけどね。







 94 / 1692



 アンパンマンの形で売っているパンのほとんどに餡は入っていない。







 95 / 1692



 『エレベーターとエスカレーターを未だに言い間違える女 vs 警察官と警備員が未だに見分けられない男』
 なかなか素敵なラブストーリーのタイトルだと思いますが、ぼくの手には余るのでどなたかに譲ります。






 96 / 1692



 乃木坂の橋の上から、バスが行くのを見ていた。
 しばらく。
 似たようなバスがのろのろとカーブを曲がって消えて行く。
 耐寒マラソンするクラスメイトをジャングルジムの上から眺めていた時のように。







 97 / 1692



 1のコトを言うのに、十の冗談を、百の、千のどうしようもないことを重ねなければならないのは面倒だと思うこともある。
 幾億の沈黙を泳ぐことが怖いと思うこともある。
 それはみんなきっと同じだと勝手に思っている。
 しかし、時には1のことを言葉で言わなければならないと思う。
 そう簡単には言えなかったことを。
 どう言っていいのかずっと分からなかったことを。
 言ったことのないことを。
 ぼくは2013年現在、まだまだ「みんな」という言い方を続けるつもりでいる。







 98 / 1692



 久しぶりに会う同期の連中と食事に。
 芸能人が隣のテーブルに座っていた。
 スタッフらしき人達と陰気に食事をしていた。







 99 / 1692



 浜松町でカラオケ。
 「シャ・ラ・ラ」デュエット希望。
 性別は問いませんが、ベージュのスカートに白いTシャツの似合う人がいいな。







 100 / 1692



 前奏が 終わって AメロBメロと 終われど歌わぬ 君を見ている







 101 / 1692



 「水割りが好き」と「シャンプーの最後を薄めて使う」は同じ意味でしょうか。
 ぼくはどっちも出来ればしたくない。







 102 / 1692



 ぼくはこの仕事を始める前は小説を書きたいと思っていたんです。
 と若い後輩が話している。
 今も書きたいと思ってるの?
 とぼくは聞く。
 いや、もういいんです。
 と彼は言う。
 ぼくは今でも書きたいぜ、と耳打ちしてやる。







 103 / 1692



 ようやくホテルに戻ってちろに電話。
 寝起き。
 今度カラオケ行こうよ。
 いいよ。こどもたちも一緒に?
 お義母さんに預かってもらってさ、二人じゃ無理?
 いいよ。
 そうしよう。







 104 / 1692



 新大阪から御堂筋線。
 御堂筋線から中央線。
 ドン小西似のおばちゃんが、山本昌似のおっちゃんに甘えている。
 「あんた、こんなにカラオケ歌いたなってるあたしのこと見たことあるん! どうするん!」
 有楽町線では見かけなかった口説き方だな。







 105 / 1692



 テレホンカード使ってる男子高生に萌え。







 106 / 1692



 心理学で何と呼ぶのかは知らないけれど、それは似道だ。







 107 / 1692



 12月29日。
 授業を終えすぐに帰宅、飛び出した。







 108 / 1692



 ずっとぼくのテンションは低かった。
 ちろもそんな感じだった。
 心なしか会話は少ない。
 それは一年の節目の日にハジメとリンちゃんを両親に預けてこんなことをしてていいのか、という思いだったと思う。
 それだけでもない。
 やはり雪山に向かう時、ぼくは嫌なイメージを拭い去ることなんかできない。
 それでも行くということを、自問して回答しきれないから、少し寡黙になってしまう。
 路面は凍っていない。







 109 / 1692



 林道を歩いて、雪の世界に分け入っていく。
 やがて林道は途切れる。
 険峻な山々に囲まれた谷間を縦に並んでずんずんと進んで行く。
 前日までに降った雪が深い。
 頭上には雲が目に見えて流れている。
 斜面にはそれほど雪は着いていないように見えた。
 雪崩れそうには見えない。







 110 / 1692



 日が暮れる前に小さなテントを張ってしまうと、もう何もすることはない。
 風が強いので小屋の影に設営した。
 冬期は板を打ち付けて閉ざされている小屋の影に設営した。







 111 / 1692



 朝が来るまで頭の中でオセロをしよう。
 やだ。







 112 / 1692



 ぼくたちは、夕方の四時から、翌朝の六時まで。
 連れ立ってトイレに出た時を除いて、テントの中に閉じ込められた格好になる。
 漆黒と雪煙を上げる突風に囲まれて、身動きが取れない。
 浅い眠りを繰り返して、朝を待つしかない。
 十分わかっていたことだけれど夜は長い。
 頭と足の位置を互い違いに横になっているのと、風の音が激しいのとで、お互いが起きているのか眠っているのか、全然wからなかった。
 けれど、まさか14時間も眠っていないはずだ。
 ほとんどの時間を目覚めたまま、黙って、何を考えていたのか今となっては思い出せないし。
 もちろん、ちろが何を考えていたのかなんて、知れない。
 高い木から雪の塊が落ちるばさっという音が、時折聞こえる。
 獣の声は聞こえない。
 風が接近してくる音が、かなり遠くから聞こえて、遠ざかる音も、かなり遠くまで聞こえる。
 川の音も聞こえない。







 113 / 1692



 起きてる?
 いま、はーくんとりんちゃんの声が聴こえた。
 怖い?
 怖くはない。
 あの二人、大丈夫かな?
 何度もお泊まりしてるから大丈夫でしょ。
 そうじゃなくて、これから。
 これから? 大丈夫だよ。
 大丈夫よね。
 大丈夫。
 似子は? 似子は大丈夫かな?
 似子も大丈夫だよ。
 似子はわたしに似てるから。
 わたしは似子に似てるんだろ?
 うん。
 わたしは大丈夫?
 わたしは大丈夫。
 うん。
 ぼくも。
 似子は、どうなったんだろう。
 似子はわたしになったのよ。
 わたしが似子になったみたいに。
 気付いてた?
 気付いてなかった。
 バカだな。
 ほんとにバカだね。
 わたしと、あの頃のわたしは似ている。
 でも、わたしと、あの頃のわたしは同じじゃないんだ。
 他の人と一緒にいた頃のわたしと、今のわたしは似ているかもしれないけれど、でも同じじゃないんだ。
 わかる?
 わかる気がする。
 わかってないでしょ。
 うん。
 ほんとうは全然わかってない。
 バカだね。
 バカでしょ。







 114 / 1692



 目を開けても闇。
 寝ているのか起きているのか、ぼくたちは何で区別しているのだろうか。
 テントの周囲の雪をかいたつもりだったが、積もってきたのか、それとも壁が壊れたのか、壁面がひどく冷たい。
 ちろの方は大丈夫だろうか。
 登山靴を入れたビニール袋が、堅い枕元の代わり。
 ビニールをがさがささせて枕元のスマホを探り当てる。
 まぶしすぎる白い光は、ずっと圏外。
 何時? と、足元からちろが言う。
 1時。
 まだ。
 何か話す?
 ううん。何も。







 115 / 1692



 ニュージーのランドの男子と女の子 恋も遊びもノーサイド







 116 / 1692



 夜道で「もおええ!もおええ!!」と叫びまくっているおじいさんがいる。
 きっと萌えじゃないんだろうな。
 大丈夫。
 もおええから帰ろう。







 314 / 1692



 キスマイの顔 名前が分からないのなら そこにアベがいてもいいはずだろう







 366 / 1692



「ベージュのカーディガンは反則。涙をよく吸う」でお馴染みのぼくです。
 電車で向かいの席に、ベージュのカーディガンにベージュのスカートを履いた女の人が座っていたのでうっとりしていたのですが、しばらくするとその隣にベージュのカーディガンにベージュのスカートを履いた蛭子さんみたいなおばちゃんが来たので、少し考える時間を下さい。







 390 / 1692



 寝言だ。
「ママ~、次はちゃんとパーだしてよ~、あいこでしょ、あいこでしょ、あいこでしょ、ちょっと~、ママ~」
 どうして彼はグーを出さないんだろう。







 421 / 1692



「ポテトがとんがりすぎてるから鼻に刺さった!」
 うるさいよ、ハジメくん。







 480 / 1692



 こちらに背中を向けたキッチンのちろが「発酵バターってさ、何が違うの?」と言っている。
 それは君が選んで買ったやつです。







 501 / 1692



 ちろの矢野顕子のモノマネは、矢野顕子を知らない子供達にもよくウケる。すごい。







 502 / 1692



 テレビを見ながら「これ、オトコノコとオンナノコしかでてこやんなぁ」とハジメが不満げ。
 きみはなかなか文学的なことを言っているよ。







 555 / 1692



 テレビでIMARUのことを見るたびに、あいつが死んだ時のことを思い出すよ。
 いい名前だな。







 801 / 1692



 一彦の 暗いラテンが好きと言い 写真を飾る みっちょん似のママ







 923 / 1692



 (勉三さんは何の夢を見ますか?)
 昨夜、スーツのままで寝てしまったら、仕事の夢ばかり見ました。
 今夜は裸で寝ようかな。







 1010 / 1692



「今日のチーズとんかつ美味しいよ」
「普通のチキンカツやけどな」
 デジャヴ感がすごい。







 1064 / 1692



 ハイマツを 這松と書く その日から ダケカンバさえ 岳樺







 1188 / 1692



 この人は 死んだはずだと テレビ指す 彼女に言わなきゃ あの夏は映画だったんだと







 1250 / 1692



 まぶたの裏で 重ねては
 目につくもの皆 似せてきた
 にどにど似道の 子守唄







 1677 / 1692



 寝る。
 おやすみ。
 おやすみ。







 1678 / 1692



 その夜、風がひときわ強くなってきた頃、似子からメールが届いた。
 ちろが眠っているのかどうかはわからなかった。







 1679 / 1692



 おやすみ







 1680 / 1692



 おやすみ
 と、ぼくは返信しながら、また眠りに落ちた。







 1690 / 1692



 テントの屋根が黄色い。
 風の音も小さい。
 朝だった。
 もちろんスマホは圏外のまま。
 トイレに行きたい、とちろが言った。
 行こう。







 1691 / 1692



 つまんないっ!と、ぼくは言いました。
 すべてのショートカット女子を、福島瑞穂と辻元清美に振り分けているときのことです。







 1692 / 1692



 やっとちろが笑ってくれました。







 1693 / 1692



 オトコノコには二種類しかいない。
 町でパンチラを見かけた時に、一瞬目をそらせるオトコノコと、ずっと目をそらしているオトコノコだ。







 1694 / 1692



 似子によく似た女の子を、ぼくも町で見かけた。
 彼女達の言う通りだった。
 それは似子とは別人だったし、もちろんちひろちゃんとも別人だった。
 似子によく似た女の子は、ぼくの方を見て「似てないから」と言った。

 ***







 1695 / 1692



 それからの似子のことはわからない。
 いつの間にか退塾手続きも終わっていた。
 似子とぼくのことに実は気付いていたという男子生徒がいて、彼が耳打ちしてくれるには、もう電話番号もメールアドレスも死んでますよ、ということだけだった。
 きっとその内、似ているという感覚が彼女にも訪れであろうと、先生は思う。







 1696 / 1692



 あべくん、誰もが似てるとは思わないで。







 1697 / 1692



 最後に。
 どんなふうにぼくが似顔絵を描いたとしても、どうしてもちろに似てしまうということ。
 そんなの、どうしようもない。
 ハジメがナオちゃん、いや、イオリちゃんか、のことを好きなこと。
 それとどう違うのかどう同じなのかなんて知らない。
 似ているとは思う。







 1698 / 1692



 マカロニサラダ美味しかったよ、と言ったら、それポテトサラダやけど、とちろに言われる。
 似道の道は果てしなく険しく明るい。





 かちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃ





 わたしたちは似道についてあまりになにも知らない









 了

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