ふゆふぉな
バイパス沿い、時代遅れのレストラン。好き? 好き。
朝ですか? いいえ、真夜中。
朝でしょう? そうだね、もう明け方。
煌々と明るい大きな窓。
夜明け前の空が一番暗いって誰かが言ってたよ。
窓際の席では、テーブルに突っ伏して女の子が一人眠っている。
顔はよく見えない。
それはあなたの知っている人だったかもしれない。
彼女の小さな肩に毛布をかけてあげるような人は誰もいない。
外した白いイヤホンがバヤリースの空き瓶の横に転がっていた。
ぼく達はそこに耳を寄せることができる。
再放送のニュースが告げる抽象。
再放送の時報。
再放送の速報。
再放送の謝罪。
再放送の感動。
再放送の嘘。
再放送の警報。
再放送の黙祷。
彼女の唇が開く。言葉が漏れる。
。
スカートのポケットで小さな端末のランプが青く点滅している。
どこかの誰かが彼女を呼び出しているのだろう。
彼女はぐっすり。
誰かが彼女を探している。あるいは求めている。あるいは確かめている。
こちらは、もう明け方。
窓の外の夜に視線をやる。
なんだ。同じ青い光がそこらじゅうで瞬いているじゃないか。
このレストランの閉店、何時なんだろう。
無愛想な給仕もホラ吹きの店長も天井裏の も、みんな寝てるみたい。
夜が明けちゃうよ。
レジで勝手にtasupoを借りて自販機にかざす。
青い光が瞬き出す。
再放送の再放送。
何度目の再放送。
何周目の地球。
レストランの上空に船団が姿を現し始める。
その異常に気付いたのは だけ。
は目を覚まし、そそくさとトンネルの中に逃げこむ。
歴史の教科書で読んだことがある。
そのレストランの上空に船団が現れた明け方のことを。
確か、当時の人々はその朝のことをこう呼んだ。
ん3。
ない。
引き出しの奥の奥にしまってあった薬の束。
あまり効かない薬。
見つからない。
名前も忘れてしまったピンク色の錠剤。
思い出せない。
先生はこう言った。
抑えようとする力を無くすことはできません。
でも、抑えようとする力を、抑えることはできます。
もちろん自然なことではありません。
これはよく使われる言い方ですが、3人目のあなたを投入するということです。
3人目。
そうです。3人目。
あなたと、天使と、悪魔。そういうのじゃありません。
あなたと、あなたと、あなた。
ちなみに4人目以降はいないと思ってください。
4人目から先は、もう他の人です。
なんだか怪しい先生だったね。
そうだね。
この御時世、待合に人のいないその手の病院も珍しい。
そのくせ若くて綺麗な看護士が5人もいた。
彼女達は揃って注射が下手で、右腕も左腕も内出血の跡だらけになった。
今でもうっすらその跡が残っている。
あのヤブ医者。
ぼくの奥さんは、ぼくの腕に残された青黒い跡を見ながらそう言う。
彼女は元々医者というものが好きではないのだ。
実際のところ点滴はよく効いた。
小さなベッドで眠りに落ち、そしてかなり多くの記憶を失った気がする。
それは別にあのヤブ先生や彼女達のせいではなく、単にぼくのせいだし、構わない。
記憶を失ったのではなく、整理されたんです。
先生は言う。
違いは分からない。
ただ、失ったにせよ整理されたにせよ、ぼくはその人工的にも思えた空白に甘えた。
抑えることを抑える。そう言って処方された錠剤はあまり効かず。
3人目のぼくとやらは結局現れず。
2人目のぼくってヤツとさえ一度も顔を会わせることなく。
ぼくの中に、新しくぽっかりできたスペースばかり見ていた。
そこはどんな言い訳も要らない気がしたし。
どんな言い訳でも受け入れられる気もした。
あれからずっと。
心のどこかでは。
どこかの心では。
ぜったいに。
ぜったいにそうじゃない、と、言う声がする。
ぜったいにそうじゃない。
ぜったいに。
ぜったいにそうじゃない、というのは、どういうことかというと。
どういうところが、ぜったいにそうじゃないかというと。
こんな方法が使えるのは一度きりで。
それは綺麗さっぱり何かが処分されて、何かが手に入ったわけではなくて。
だって、ぼくは何もしていない。
ぼくは泣いただけで。
泣いて点滴されただけで。
これは質屋みたいなもので。
これから先のぼくは時間をかけて返していかないといけない。
そういうことだろう。
ぼくが質入れしたのは、単なる記憶というものではなく、言葉じゃないのかな。
ぜったいにそうじゃない。
誰?
ぜったいにそうじゃない。
2人目? 3人目?
それとも4人目?
やっぱり気配はするんだ。
ねえ、別に飲みたいわけじゃないんだけどさ。
ばかだな。
飲もうっていうんじゃないんさ。
ここにしまってあった薬の束だよ。知らない?
知らない。
一緒にしまってあった紙の束は?
知ってる。ん3でしょ?
ん3だよ。
若い看護士達は病院の窓から顔を出し、空を指差して騒いでいる。
冬の高い空は澄んで快晴。
先生は診察室の椅子に凭れて居眠り。
今日も退屈な病院だ。
彼女達が開けた窓から吹き込んだ風。
机の上に置かれたカルテの束を一枚ずつぱらぱらとめくる。
まるでそれらに目を通しているみたいに。
ん3
五田 いつかこういう日が来ると思っていました。
東十 どういう日?
五田 わかってるくせに。
東十 うん。わかってるかもしれない。
五田 ほんとに?
東十 わかるわけないじゃん。
五田 なんだよ。オカマ女のくせに鈍いんだな。
東十 言わないで。
五田 。
東十 なんだ。そのこと?
五田 夢みたいじゃね? オレ達が になるんだぜ?
東十 五田がどうしてそんなに嬉しいのか、わたしにはよくわかりませんでした。
五田 デビューかぁ。
東十 誰が見るのか分かんないようなやつでしょ?
五田 偉い人の目に留まったりしてさ、ほら、市川準とかさ、衣笠幸雄とかさ。
東十 死んだはるよ。
五田 生きたはるよ。
東十 真面目にやる気ある? そういうんじゃないみたいよ。
五田 わかってます。そういうんじゃないんです。わかってます。
東十 わたしたちは冗談を言いすぎる。そりゃあわたし達は冗談が好きです。
五田 好きというよりも、それがなくては生きていけません。
東十 もしわたし達に、冗談も言えなくなるような日が訪れるのなら。
五田 オレ達は冗談以外のことも話せなくなっているだろう。
東十 でも。
五田 でも、冗談と同じくらい。
東十 ほんとの話も好き。なくては生きていけません。
五田 ほんとの話。それは。
東十 それは深刻で難しく現実的、そういうものではありません。
五田 冗談ではないということ、それは。
東十 それは「恥ずかしい」ということと「簡単である」ということです。
五田 質問だけがあって、答えがない。
東十 それでもいいようなこと。
東十 「恥ずかしいこと」や「簡単であること」。そして冗談。
五田 それだけで生きていけるわけではないけれど。
東十 どうして?
五田 どうして。東十の口調に否定的なニュアンスはありません。
東十 否定するためになぜどうしてと問う。わたし、そんなにおバカじゃないわ。
五田 そう。オレ達はそんな じゃない。
東十 空間は息が詰まるほど多くのもので満たされています。
五田 時間は加速度的にひどく重くなっていきます。
東十 わたし達は困ったとき、正直さに頼るしかない。
五田 疑うのではなく、信じるしかない。
東十 元気いっぱい信じるしかない。
五田 明るく。
東十 明るく。
五田 飛べるよ。この時のためにオレ達、こんな形状なんだから。
東十 まずどうしたらいい?
五田 浮こう。
東十 あ、浮いた。
こら! おまえたち! だめだ、勝手なことしちゃ!
五田 しまった。急げ、行こう。
東十 待って!
五田 ピュロピュロピュロピュロピュロ
東十 ピュロピュロピュロピュロピュロ
しまった。逃げられたか。
いいじゃないですか。若い人を止めることなんて出来ませんよ。
遅かれ早かれです。
あいつらはよからぬ方へと導こうとするかもしれん。
それは簡単なことじゃありませんから。
尚のこと。無事に戻れればいいのだがな。
大丈夫ですよ。
あの子達は、冗談だけじゃありませんから。大丈夫です。
どうか。
留萌市地下鉄中央駅。
最終電車までは一時間を切っている。
天気予報が今年一番のひどい冷え込み、なんて言ったせいだろう。
いつもより人の姿がずっと少ない。
南北線、第一オロロン線、平和線、そして新しく開通した焼尻線。
普段の平日であれば。
乗換する人々の群れが迷路のような通路をぞろぞろと行き交う。
低い天井と、古ぼけた壁。所々消えている蛍光灯。
ほとんど途切れることもなく、似たような服装や、個性的な服装をした男達と女達。
天気予報が今年一番のひどい冷え込み、なんて言ったけれど。
留萌市地下鉄中央駅の構内は生暖かい。
昔の人は喩えたらしい。
複雑に入り組んだ地下鉄の駅の通路、四方へ延びた路線のことを蟻の巣のようだと。
でも、と由衣子は思う。
そこには水が満ちているようだと。植物の道管のようだと。
地上へと続く、気が遠くなるくらい長いエスカレーターに乗りながら由衣子は思う。
出口を見上げる。
長すぎて、昇っているのか降りているのか。
止まっているのか動いているのか。
大切なもの。
とても。
危険なもの。
とても。
そう言って彼らがわたしに預けた紙袋。
指示された通りに焼尻線ホームの女子トイレに置いてきた。
それを置いたら、あなたは急いで地上に逃げなさい。
焼尻線のホームは一番深い。
どんなに急いでも地上までは五分はかかります。
五分もあれば全然大丈夫。
自分で置いてくればいいじゃないですか。
オレ達は目立ちすぎる。
その男の言う通りで、その男と女の服装はとても奇抜で、それはまるで。
それはまるで安物の戦隊ショーの悪役みたいな。
出来の悪い、そして使い古され薄汚れた衣装。
顔が隠された悪趣味な衣装。
どうして私が?
胸に手を当てて聞いてみな。
おまえは、おまえの夢の中では、主人公なんだよ。
逃げらんねえんだよ。
見上げるエスカレーターの出口は黒い四角だ。
そこに星は見えない。
時折冷気が降りてくる。
冷たい水が流れ込んでくる。
クリオネ達でも泳いでそうな冷たい水が流れ込んでくる。
由衣子は手すりを乗り越え、下りエスカレーターに移った。
そして元来た方へと潜って行く。
降りているのか昇っているのか。
止まっているのか動いているのか。
由衣子は誰もいないエスカレーターを駆け下りた。
胸に手を当てて聞いてみな。
そうだ。
わたしは何をしているんだ。
わたしはずっと前からこういう子供だった。
こんなこと、これまでも何回も何回もあった気がする。
わたしはこうする。
いつもこうするんだ。
みんな逃げて。逃げてください。早く。早く逃げてください。
そう叫びながら、由衣子は細い通路を駆け抜けた。
焼尻線ホームの女子トイレに。
由衣子の置いた紙袋は無かった。
その代わり、洗面台の鏡に、みっともないね、と描かれて、いて。
ご丁寧にハートマークまで描かれていて。
こういう時に話を聞いてくれる友達が、わたしには一人もいない。
焼尻行きの最終電車が発車した。
誰かに言ってもらいたいのだと思う。
わたしだってそうする。それは なんだよ。と。
月の軌道上で、紙袋がささやかに爆発したのを捉えた天文学者は言った。
もう今月に入って五つ目だ。
悪い傾向じゃないない。
我々は最悪の事態を見事に避け続けている。
テレビ見てる?
うん。すごいね。中央駅で爆弾テロか。
あそこは何だか怖い感じがするっていつも思ってたの。
わたしも。
地下鉄なんて怖いよ。
ほんとほんと。
それにしてもこの犯人の女の人。綺麗な人だね。
人気出ちゃいそう。
死んじゃったのに?
死んじゃったのに。
でもさ、もっと人がたくさんいる時間帯にやればいいのに。やっちゃだめだけど。
もっと人がたくさんいれば、こんなに早く映像の解析だって出来なかっただろうにね。
最終電車が出てから爆発したって意味ないじゃん。
自殺なんじゃないの?
爆弾置いて? しばらくして戻ってきて自爆? 変なの。
ちょっとトイレに行ってただけかもよ。
あんたバカじゃないの? あそこトイレじゃん。
あ、そっか。
で、今どこ?
ん? ちょっと。
角煮が食べたいっていうから、二日前から煮込んで持ってきた。
あいつが好きだった煮卵だって入ってる。昆布だって。
雪に埋もれた幌尻岳の裾野。
林が切れたところにある小さな小屋で、わたしはあいつを待っている。
あいつというのは、イ・レという男で、まあいい男だ。
有名人だからこんなところでしか会えない。
どれくらいいい男かというと、人と鹿と鰹の遺伝子を合わせたような、凛とした男だ。
わたしとは全然違う。
わたしはどちらかと言うと、人がトレーナーとセーターを重ね着したような女だと思う。
寒いのは苦手だ。
音ばかりパワフルな暖房を搭載した四輪駆動車でここに来た。
ブーツを履いていても足先が冷たくなってくるようなボロ車。
しっかり雪を踏んで走って、約束より五時間も早くわたしはここに着いた。
暖炉の火をおこして、小屋全体を暖めるには時間がかかるからだ。
イ・レという男を、わたしは幼い頃から知っている。
身分が違う。
わたしは平凡などこにでもいる家族の子供だった。
イ・レの家族が引っ越してきて、わたしは彼らのお世話をする家の子供になった。
わたしの目に、彼ら一家はとても眩しく見えた。
彼らの庭が世界の中心にあり、それ以外のものは彼らによって価値が与えられた。
そういうものだと思っていた。
中学生くらいまでは。
でも、すぐに気付く。
彼らは世界の中心でも何でもなく、世界にありふれた大金持ちに過ぎない。
どちらかというと、ありふれているどころか、下らない部類の。
出来ることならお関わる合いになりたくなかった種類の。
こんなこと確かめるまでもない。
わたしの家族は色んなことに目も心も閉じていた。
そして、わたしの家族は警戒していた。
イ・レという美しい一人息子が、自分達の平凡な娘にいつ触れようとするのか。
もしそうなった時、自分たちはどうすればいいのか。
そんな心配はいらなかった。
わたしはとても平凡だった。
両親が思っているよりもずっと凡庸だった。
わたしは自分からイ・レの手を取り、まだ幼さの残っていた彼の心に入り込んだ。
もちろん、どちらの家の者にも勘付かれたりせずに。
それはもう十年以上も前の話だ。
今夜、イ・レは彼の婚約者を連れて、この小屋にやって来る。
春になったら結婚式だ。
わたし達家族はその結婚式には招待されたりしない。
わたしもその婚約者のことを知っている。
彼の家の前で家族そろって挨拶をさせられた。
クリーム色のスーツ。
あんなの着れない。
二人はとてもお似合いだと父と母は言った。
これで安心だとでも思っていたのかもしれない。
ごめんなさい。
小屋の扉を開けた彼女は、そこにわたしを見つけて、どんな顔をするだろうか。
ほんとうは、人のそんな表情を見ずに生きていきたいと思う。
でもさ、思うんだよ。
信じてないんだよ。
本当は、今夜叫んで、殺されて、粉々にされ、森に撒かれるの。
わたしの方なんじゃないかって。
いなくなるのは、わたしの方なんじゃないかって。
殺される前に、縛り付けられて、二人が気持ちよさそうにやってるの見せ付けられるの。
わたしの方なんじゃないかって。
それってさ、自業自得ってやつなんだよね。
その前に、二人とも殺しちゃうのがいいのかな。
それとも、三人とも死んじゃうのがいいのかな。
それだったら、イ・レと二人だけで死にたいな。
ヘッドライトが雪煙の中を近付いてきて、わたしの車の横に止まった。
ヘッドライトが消える。
運転席からイ・レが、助手席から婚約者の彼女が雪の上に立つのが見えた。
二階の部屋も全てカーテンを開け煌々と明かりを点けてある。
彼らからはこの小屋は城のように見えるかもしれない。
小屋の黄色い明かりは雪に反射し、イ・レと彼女を美しく浮かび上がらせている。
その表情までは窺えない。
わたしはリビングのカーテンの陰から、二人を見ている。
イ・レも被害者なんだと思った。
もしもわたしがいなかったら、本当にイ・レはああいう綺麗なお嫁さんを貰って。
結婚前のロマンチックな、若干演出過剰な雪山での夜を過ごして。
もしもわたしがいなければ。
そんなことを思うわたしの視界に静かに入ってきたもの。
イ・レと婚約者の背後の闇から現れた、二人の人間の姿。
人? だろうか?
エスキモー? 防寒具に身を包んだ熊?
土偶、というやつにも見える。
。
イ・レ達は背後に気付いているのだろうか。
それが、わたしたち三人にとって良いものなのか悪いものなのか。
そんなのわかりませんでした。
でも、とても怖くて。
わたしは蒔き割り用の小斧を右手に、着火用のバーナーを左手に。
なんだろう。
わたしは、そのお似合いの二人を守るために戦おうとしている。
誰にも言えないけれど、その婚約者はどことなく似ている気がしていたんだ。
わたしに。
外国語というのは不思議だ。
吹き替えというのもとても不思議だ。
それはおまえが世界を知らないからよ。
じゃあさ、世界はぼくを知ってるのかな?
ぼくが外国で放映される時に、ぼくは外国語なんだよね。
やっぱり不思議だよ。
どこかで調達してきた単三電池を、売り物のポータブルDVDプレーヤーに入れて。
売り物の洋画を見ている。
達也、それ買えよ。
実演販売だよ。
なんか他の映画ねえの?
日が傾き始めると、冬のフリーマーケットは更に厳しさを増す。
四時までだっけ?
そう。
あと一時間か。今日はダメだな。
やべえな。出展料にも満たないぜ。
なんだよそれ。
おまえらがガラクタしか持って来ねえからじゃねえか。
大事なもん売れるかよ。
誰んだよ、この愛地球博のTシャツ。
オレだよ。
最高じゃねえか。
客もまばら。
遊園地の駐車場を除雪し、春待ちきれぬフリーマーケット。
そもそも遊園地の大きなゲートが閉ざされている。
冬季は閉園するんだって。
当たり前だよ。みんな知ってるよ。
ジェットコースターの白いレーンが曲がったり回ったりして高く聳えている。
幸い風は無いけれど、空気が冷たすぎて羽を休める鳥もいない。
もっと人の多い駅前とかでやればいいのに。
今はダメだよ。
地下鉄の事件があって、そういうイベントとか出来ないんだ。
そうなの?
だって犯人も死んだんでしょ?
人が集まっちゃダメって、それってフリマ的には痛いよね。
でもさ、あっちのブースで毒ガス用のマスクとか売ってたよ。
なんか実際に使われてた本物とか言って。
防弾チョッキとか。
すげえじゃん。
でもすげえ高えの。
だよな。
オレ達もさ、こんなガラクタじゃなくてさ、そういうの売ったらいいんじゃね?
軍事産業ってやつ?
うん。一般向けのさ、安価なやつ。軍事グッズとか自衛グッズとかっつって。
オレそういうのやだな。
オレも。
何甘っちょろいこと言ってんだよ。人の命を食いもんにしようってんじゃないだろ?
でもさあ。
なぁ? みんなが困ってる時に、自分達だけ儲かるわけじゃん。
当たり前だろ。役に立ってんだからさ。社会貢献ってそういうことだろ?
知るかよ、そんなの。
達也、おまえ、すげえの見てるな。
これ吹き替えじゃないし、字幕もねえから何言ってんのか分かんねえんだけど。
でも、なんかすげえな。
この女、すごい。この子、アジア系だよね。かわいくないけど。
うん。かわいくない。
戦争は嫌だね。
嫌だよ。
こういうものかもしれないよ。
だってさ、日本が開国した時とかあんじゃん。
ごめん。オレ、幕末の話とかしたがるやつ、苦手。
オレも。
まあ、聞けよ。
宇宙人がやって来たらさ、すぐに宇宙戦争みたいな話になるけど、もしかしたらさ。
まあね。
どうして最初さ、言葉が通じない同士で、どうにかなったんだろ?
そりゃ何人かは分かるやつがいたんじゃないの?
最初の最初だよ。
どっかの島に流れ着いた人とか?
そうそうそういうの。
よく考えたらさ、言葉って似てるんだよね。
道路とロードとか?
上木、おまえ黙ってろよ。
そういう意味じゃなくてね。
主語だとか、述語だとか。わたしだとか、あなただとか。
翻訳ができるんだもんな。
そうなんだよ。
それがまるで前提なんだよな。
似てるっていうのが。
うーん。
人間同士だからかな。
どうだろ?
宇宙人が来た時に最初に行われるのはそこの部分なんだろう。
翻訳を互いに認めるかどうかの確認。
それってさ、厳密じゃできない。
そりゃそうだ。もめるだけだ。
とりあえずさ、もう客なんていねえし、その軍事グッズの店行かね?
行こう行こう。
ぼく達はフリーマーケットというものが好きです。
リサイクルだから。
もちろんそうです。
でも、それだけじゃないと思う。
お店屋さんごっこも好きだし、地べたに座るのも好きだし、屋外も好きだ。
お弁当広げて、小雨が降ったら慌てて、日が暮れたら畳んで。
でも、やっぱりリサイクルだからかな。
そうだね。
うん、そうだ。
おかしいな?
確か、この辺りだったんだけど。
もう片付けちまったんじゃねえの?
完売かも。
すげえ。
物騒な世の中だね。
おい。あれ見ろよ。
あれじゃねえの?
何あれ? 着ぐるみ屋さん?
本格的なやつじゃん。
トラやウサギやクマやパンダ。
イヌ、タヌキ、ブタ、ライオン、アルパカ。
これって全部新品ですか?
中古だよ。
綺麗ですね。
おいくら?
二十万円。
まじか。
今日売れました?
全然。
そりゃそうでしょ。場所間違ってますよ。
そんなの分かってるよ。
遊園地に営業に来たんだけどさ、休みだって言うからさ、ダメ元で。
おじさんさ、こんなの飛び込みで行ってもだめでしょ?
だめかな?
うーん。
兄ちゃん達さ、じゃあ一時間のリースでいいや。
千円で貸してやるから劇でもやんなよ。
今からですか? ここで?
そうだよ。伝えたいことの一つや二つあんだろ?
ここじゃ不満か? もっといいとこ用意しようか?
いや、ここでいいんですけど。
だろ? ここがいいだろ?
さ、選べ。どれでもいいぞ。
兄ちゃん達、学校の友達か何かか?
いいえ、そういうんじゃないんです。
じゃあ、兄弟か?
いえ。
三人ともよく似てるけどな。
まあ、分からないこともない。
仲がいいんだな。羨ましいよ。
誰でも知ってる話の方がいいだろう。
短い話の方がいいな。
ちょっとくらい男と女の話もあった方がいいよ。
ハッピーエンドがいいに決まってる。
『賢者の贈り物』にしようか。
いいね。
ちょっと季節外れだけどね。
寒いし、いいんじゃない?
だしね。
じゃ、オレがナレーションするから、おまえら好きなの被れよ。
ナレーターも被れよ。
そういうもんか?
そういうもんだろ。
オレ、何にしよっかな。
やっぱ、女の子だし、ウサギかな。
オレは何となくインテリっぽいヤギにしよう。
ナレーター、どうすんの?
おじさん。これ何?
ああ、それはね。
ライオンとパンダの影に、ちゃんと座れず、ぐったり転がっていた一体。
黄緑色のつるんとしたボディに、長い手足。大きな口で、目はない。
オレもよく知らね、人気だっていうから今朝仕入れたんだけどさ。
気味が悪いだろ?
かわいいか? もうおっさんには全然分かんねえよ。
こんなの知ってる?
知らん。
触ってみる。濡れている。
と思って手を引くけれど、指先は濡れていない。
脳を直接やられたような気がしてぞっとする。
どこから仕入れたんです?
ああ、あいつらだよ。
そう言って、おじさんが指差す先。
ジェットコースターの一番高いところ。
ばいきんまんとドキンちゃんの気ぐるみを着た人のシルエットが二つあった。
それぞれの乗り物の、その屋根の上に腰掛けて、こっちに手を振っている。
それは翻訳可能に見える。
焼却場。
じゃねえや、火葬場だ。
火葬場に向かう霊柩車見たか?
じいちゃん、あんないい車なんか乗ったことなかったぜ。
親戚のおっちゃんが寿司のわさびを器用に抜きながら言う。
寿司だってさ、巻き寿司と稲荷ばっか。
吝嗇家というよりも、時間が止まってたんだろうな。
贅沢の基準が時代と全然違ってたんだよ。
じいちゃんに会うとさ、貧乏を思い出すんだ。
ウンコとションベンと安物の芳香剤の混ざった匂いがすんだよ。
そこに焚きたての黄色い飯とか、雨の匂いとかがな、混じってるんだ。
嫌な気分だぜ。
年也には絶対わかんねえわ。
でもさ、おっちゃん。
この先、どうなると思う?
なんだ、年也もそういう年になったか。
この先ね。
こんなの続くわけねえじゃん。
なあ、どうすんだよ、これからよう。
このおっちゃんに、未来のことを聞くと泣く。
わさびを食わせても泣く。
そんなの常識。
みんな、このおっちゃんのことが好きじゃないけど、ぼくは嫌いじゃない。
どっちも一緒だ。
あのおっちゃんには昔のことを話させておけばいいのよ。
不幸話させとけばいいの。
それが幸せなんだから。間違いないのよ。
従姉妹の衛子ちゃんはぼくより四歳年上。
余裕。
でもそう言う割りに、衛子ちゃんはおっちゃんの相手をしない。
上手だと思う。
ぼくはおっちゃんを泣かせるけれど、それはそれでおっちゃんは幸せそうだと思う。
留萌郊外の小さな火葬場で、今日、ぼくらのおじいちゃんは煙になりました。
それは有名な思想家と、有名な俳優が煙になったのと、まるっきり同じ日。
なのだと、大人たちが話している。
ぼくはその有名な人達のことは知らない。
おじいちゃんのことの方がまだ知っている。
衛子ちゃんは大人ぶっているけれど、子供だと思う。
すぐにパンツが見えるもの。
そういうところって、一番分かりやすいと思うよ。
おじいちゃんは初孫の衛子ちゃんのことを溺愛していて。
それは、早くに亡くなったおばあちゃんに衛子ちゃんがそっくりだったからだそうだ。
おじいちゃんとおばあちゃんは子供の頃からの知り合いで、そして結婚した。
最期の方は、おじいちゃん、衛子ちゃんとおばあちゃんの区別なんてついてなかったよね。
おばあちゃんの名前を衛子だと思ってたもんな。
めちゃくちゃだな。
そう言えば、もう衛子ちゃんはおばあちゃんが結婚した年くらいだ。
結婚とかするの?
しないわよ。
付き合ってる人は?
えー? そんなの聞くの?
お店の駐車場に止まっていた見知らぬバイクに跨って、衛子ちゃんは言う。
パンツが見える。
持ち主の人が来たら怒られるよ。
怒られません。
おい、ねえちゃん。誰のバイクに座ってんだよ。
ほらね。
そんなに乗りてえんだったらさ、オレ達と一緒に行こうぜ。な?
ちょっと、やめてよ。
触らないで。
びびってるくせに強がるんじゃねえよ。
行こう。お友達になろう。
年也、助けてって。
あのさ、中学生の男子にね、そんなの無理だよ。もお。
ぼくは泣きそうになっていた。
そしたらおじいちゃんが現れたんだ。
駐車場のアスファルトからにょきーっと。
その真っ青な顔したおじいちゃんは、悪いやつらをやっつけてくれたり、しない。
悪いやつらを怖がらせて、一目散に逃げ出させたり、しない。
おじいちゃんはぼくにしか見えないみたいだった。
ぼくに向かって何か言っている。
聞こえない。
全然聞こえない。
聞こえないけどさ、ぼくだって中学生だよ。
それくらいわかるって。
何を言われてて、何をしないといけないのか、わかるよ。
わかるけど、できないから、困ってんじゃん。
おじいちゃんはぼくの後ろの壁を指差す。
そこには、いかにも危険そうな赤くて丸いボタンがあって。
それは透明のプラスチックカバーで覆われていて。
”Don’t Touch”
の、”Don’t ”に「×」がしてあって、赤いボタンが女の人の乳首になるように落書きされていた。
こんなのさっきまで無かったよ。
なんて言っても始まらない。
バイクのエンジンがかかった。
ぼくはプラスチックのカバーを外した。
もう一度、おじいちゃんを見る。
しわしわの親指立てて、なんなんだよ。
よく見ると、おじいちゃんの背中からはコードのようなものが伸びている。
肉体と霊魂を結びつけているとかいうやつ?
違うよね。
どう見ても電気的な何かじゃない?
年也! と、衛子ちゃんが叫ぶ。
タンクの上に座らされてパンツ丸見えだし、何やってんだ!
がちん。
ぼくは固いボタンを押し込みました。
壁の落書きの女の人は表情一つ変えません。
衛子ちゃんも、悪い人達も、身動き一つしません。
時間が止まったのかな、と思いました。
そうじゃありませんでした。
おじいちゃんがニタァと笑った。
おじいちゃんの体は左右二つに千切れて、一つは五田に、一つは東十になりました。
年也は偉いな、と五田が言います。
あいつ、見込みあるよね、と東十が言います。
おまえ、衛子ちゃんのこと好きだけど、指一本触れてないな。
臆病者だ。
いいねいいね。
夢の中でも触れない。いいね。
好きだよ、そういうの。
気が付くと、悪い人達もみんな小さい五田と小さい東十になっていました。
助けて年也! と、衛子ちゃんが変なピカピカの乗り物の上に縛り付けられている。
おまえら、騙したな。
おじいちゃんを使うなんて卑怯じゃないか。
普通あのクオリティに騙されないでしょ。
おまえら何者なんだ。
そこは自分で考えようよ。
答えたところで信じるのですか? 君は。
。
我々の言葉で言うと、君にはまだ泳がせるだけの価値があるようだね。
これは褒め言葉だよ。
かっこいい、五田。
昨日ブックスマーケットで見つけたんだ。
ブックスマーケットで分かってきたんだけど、使い古しの言葉が一番いいんだ。
ごちゃごちゃ言ってんじゃねえよ。
年也くん。今日のところは見逃してやる。
わたし達ってさ、美学があるからさ。
弱っちいやつをいたぶる趣味はないからね。
次に会うときまでにちょっとは強く、ちょっとは賢くなっておきな。
それまで衛子ちゃんは預かっとくよ。
年也! おばあちゃんが若かった頃は、こんなのなかった。
ブックスマーケットも無かった。
分かる? こいつらが手に入れた気になっているこの星は、こんなもんじゃないんだ!
衛子ちゃんまで何を言ってるんだ。
黙らせろ!
小さい東十が、スタンガンみたいなもので衛子ちゃんを気絶させた。
では、ひとまずさらばだ。
近い内にもう一度君とは会うことになるとブックスマーケットも言っているよ。
小さい五田と東十は、ヘルメットの代わりに動物の着ぐるみの頭部を被った。
バイクのエンジン音がひときわ大きくなる。
パトカーのサイレンが近付いてくる。
誰かが通報したんだ。
ずらかりましょう。
年也くんも、さっさととんずらこいた方が良いんじゃなくて?
グッバイ、ジェーン。
一人残されたぼくは落書きの女の人の真っ赤な乳首をもう一度思いっきり拳で叩いて。
その場を去った。
やばいよやばいよ。追いつかれちゃうよ。
五田の腰に腕を回した東十がバックシートで楽しそうだ。
なんだよ。
この乗り物、飛べねえじゃねえか。
どうしてあいつら追いかけてくるんだろうね?
意味も分からないままに。
可哀相に。
可哀相なのは、オレ達もだけどな。
さあ、地の果てまでも逃げてやるぜ。
ほとぼりが冷めたらブックスマーケットにでも繰り出そうじゃないか。
あそこは二十四時間営業だからな。
曇り。
このところ、ずっと曇りだ。
留萌タワーの先端もずっと雲の中に隠れている。
毎晩、店じまいをする時に見上げる。
うっすら先端で明滅する赤いランプが雲の中に見えるような気もした。
朝、出勤時に駐輪場から見上げても雲が流れるばかり。
変な感じがずっと続いている。
わたしは留萌タワーが着工した年に生まれた。
そんな人はいっぱいいるし、よくある話だ。
留萌タワーにちなんだ名前なんて付けられなくて良かったと心から思う。
わたしの名前は園という。みんな「えんちゃん」とか「えんぞう」とか呼ぶ。
「えんきち」というのも気に入っている。
昨日は非番だった。
わたしは留萌タワーの一階にあるドーナツ屋で働いている。
昨日ドーナツ屋に警察が来たらしい。
近頃この辺りで怪しいやつを見なかったか、なんて聞くのだそうだ。
店長のミヤザワさんは、爆笑して帰したらしい。
うちのお客に怪しい人なんて一人もいませんってね。
確かに。ミヤザワさんより怪しい人なんて来ない。
ミヤザワさんは百五十キロはゆうに超える巨漢で、インテリで、おまけに妊娠中だ。
誰も彼女のことを妊婦だとは思わないだろう。
不妊治療を続けて、諦めて、また再開したら、すぐに出来たのだという。
ミヤザワさんが出産休暇に入るタイミングで、このドーナツ屋は閉店。
わたしは次の就職先を探している。
次もどこかのドーナツ屋で働くかもしれないし、全然違うところかもしれない。
ミヤザワさんは、わたしにこのお店を任せてもいいよと言った。
ごめんなさい。
わたしは心の方に病気があるので、それは出来ません。
そんなこと気にしないのよ。
たぶん資格が取れないと思うので。
園ちゃんは真面目だな。
真面目なわけではない。
わたしのような病気の人は、迷惑をかけるということに、敏感なだけだ。
警察は園ちゃんのことも知ってたわよ。
わたしのことですか?
そう。
もう一人従業員がいるでしょうって、慇懃な感じで言うのよ。
かわいい子がいるでしょうって。
ね? わたしがかわいくないみたいじゃない。
ですよね。
ちゃんと言っといたから。
あたしの妹ですって。
今日はもう来ないんでしょうね。
来ないでしょ。
あいつら話だけ聞いてなんにも買わないんだから。
何を調べてんのか知らないけどさ。
なんだか最近大変そうですもんね。
地下鉄のやつとか、遊園地のやつとか?
あと、なんつったっけ? 子供二人が行方不明でしょ?
子供でした? 高校生と中学生かな?
駆け落ちなんじゃないの?
なにかと続きますね。
園ちゃんも気をつけてね。
出産祝いは何が欲しいですか?
園ちゃんは絵が上手だから、大きい絵を描いてよ。
リビングに飾れるようなかわいいやつ。
大きくて高そうなやつ。
我々も無能じゃありませんから。
いいから。ミヤザワさんを放してください。
あの健康的な女性ですか?
あなたがわたしたちに協力して同行していただけるなら、すぐにでも、どうぞ。
何度でも言いますが、わたしは何も知りません。関係ありません。
関係あるか無いかは園吉さんが決めることじゃないんだ。
園吉さん、御存知ですか?
はい、知っています。
何を?
共通点について。
話が早い。
いいことばかりじゃありません。
やつら、必ずあなたのところにも来ます。
いや、もう来ているのかもしれない。
わたしも無能じゃありません。
病気になる前からです。前からだと思います。
だから分かります。
やつらは来ません。わたしのところに来ても仕方がない。
わたしは無価値だからです。
やつらにとって無価値だということ?
そうです。
園吉さんは、やつらにとっての価値が何なのか知っている、ということになりますね。
やつらの目的を知っている、ということ。ですね?
それは知りません。
目的なんて、あなたたちの便利な言葉であって。
わたし達や、そしてやつらの、言葉じゃありません。
わたし達。
そうでしょう?
我々はそういう話に興味はない。言葉のレートのことはね。
地下鉄のニュース、見ましたか? あの由衣子という女、よく御存知ですね。
次はわたしだと思いませんでしたか?
思ってましたよ。だから驚かない。
どうぞ、正体を見せてください。
なんだか、色々いるね。一人で来るんじゃなかった。東十も連れてくりゃ良かったんだ。
あら。
まあ。
やだ。
なんだか目立ちすぎでしょう?
警官の制服がびりびりと破れ、帽子が飛び、その中から大きなクジラが姿を現しました。
いや、クジラにしたら、随分小さいのかもしれません。
クジラのことはあまり知りません。
いずれにせよ、留萌タワーの第一展望台にも届かないようなサイズですが。
ミヤザワさんの十倍くらいの大きさはあります。
由衣子って子は手始めだった。
確かめたかったんだ。どのくらい話ができるのか。
あの子は優秀だった。
我々のことを比喩だと考えるようなやつらとは話ができない。
我々はイメージであって比喩ではない。
おまえ達の知っているものとは違う。
オレ達はブックスマーケットとドリームドライブイン国道店からそれを学んだ。
クジラのことだってそうだ。
おまえ達はわからないものを、いつも自分達が考えたいことの比喩だと疑ってきたのだ。
クジラを疑ってきたのだ。
違う。クジラはイメージだ。
おい。黙れクジラ野郎。べらべら喋るんじゃねえよ。
かぶれてんじゃねえよ。
ブックスマーケットとドリームドライブイン国道店を代表してみたいな顔してんじゃねえ。
とりあえず頭冷やしてこい。
大きなクジラが小屋をぶっつぶしてくれたので。
その衝撃でわたしは冷蔵庫から顔だけ出すことができました。
瓦礫の中から見た先。
髪の毛をまとめていたゴムもどこかに飛んで。
制服のスカートもびりびりに破れ。
頬を涙で光らせた園ちゃんが凛々しく立っていたのです。
灰色の空から雪がちらつき始めていました。
それはもう、わたしの知っている園ちゃんではありませんでした。
履歴書に載っている園ちゃんではありませんでした。
レインボー !!!!!!!!!!!!
ここに働きに来て数年。
園ちゃんからは聞いたこともないくらい大きな声。
空が割れ、真っ白な光が滝のように園ちゃんに降り注いだのです。
そこから先は滲んでよく覚えていません。
テニスウェアみたいなのを着た園ちゃんはクジラが放つ黄金のビームをかいくぐり。
クジラの至るところを蹴りまくり。
鼻先に手刀の連打を浴びせました。
そして留萌タワーを引っこ抜くと、先端をクジラのどてっぱらに突き刺しました。
そのままクジラを持ち上げるようにその厚い胴体を貫いたのです。
クジラから溢れ出た光の中で、園ちゃんが力尽きたように倒れるのが見えました。
光を出し切ったクジラはバラバラに分解し、一つ一つが小さな五田になりました。
一体の五田がよろめきながら、次はこうはいかないからな、覚えてろよと言いました。
五田達は排水溝の中に流れ落ちるように消えました。
わたしは倒れた園ちゃんに駆け寄ろうとしましたが、冷蔵庫のドアに足が挟まっていて。
すると、その騒ぎを遠巻きに眺めていた人の中から一人の少年が彼女に歩み寄りました。
園ちゃんを抱き上げると、そのままどこかに走り去りました。
誰か、わたしを冷蔵庫から出してください。
赤ちゃんが産まれそうなんです。
ポという成人男子が留萌市にやって来たのは、ほんの一週間程前のことです。
ちょうど一連の騒動が始まってしばらく経った頃でした。
留萌市が新しく姉妹都市になったアフリカの東海岸市というところから彼は来ました。
アフリカの東海岸というところは、もう何十年も紛争が絶えない地域で。
内戦によって数え切れない(実際に数えられない)人々が死体になりました。
ポの兄や弟達は一人も残っていません。
三人はポも何度も死を覚悟した激しい戦場で死にました。
二人は脱走し捕まって処刑されました。
姉と妹達はどこかに連れて行かれて、生きているのか死んでいるのかわかりません。
いずれにせよ二度と会うことはないでしょう。
父と母はとっくにいません。
そもそも兄弟姉妹とは言っても、父も母も同じかどうか分からないのだとポは言いました。
ポはわたしの家に居候しています。
それはわたしが留萌市では唯一ポ語を話せる人間だからです。
嫁入り前の娘がいる家に、得体の知れない若い男を住まわせることに両親は当初反対でした。
しかし、一度グランドホテルの喫茶室でポに面会させたところ、態度は一変しました。
礼儀正しく、もの静かで、悲しげな彼の視線に触れ。
もちろん両親は彼を放っておくことはできなくなったのです。
万が一、ポとわたしの間に何が起きても構わない、と母はわたしに言いました。
正直言って、わたしにはその気が全く無かったのですが。
わたしは事前にポの国に行って、何度もポとは面会を重ねています。
何十万もの似た境遇の若者達の中から、ポに白羽の矢が立ったのは奇跡です。
同行していた国連の偉い女性が、たまたまドアをノックしたのがポの寝床でした。
その場で投げかけられた留萌に行くかという問いかけに対し、ぼんやり行くと即答します。
ポには願いがあるのです。
留萌に来る前のポとわたしが最後に会ったのは、それでももう二年も前のことです。
手続きとか検査とか、色んなことが必要でした。
が、ポとスタッフは辛抱強く、一つ一つをクリアしました。
それにしても二年以上もの時間を要したのには、大きな理由があります。
ポが結局、新しい言語を覚えることが出来なかったためです。
ある程度、数を数えたりすることはできるようになりました。
しかし、論理的なことや、感情的なことになると途端にだめです。
というのも、そもそもポは現地の言葉にしてもです。
同じ年齢の男の子達の十分の一も語彙を持たず、そもそもあまり話さないのです。
二年間やってみて、わたし達は諦めました。
ポを留萌に連れて来ることではありません。
ポに話させることです。
それが一体どれほどの問題でしょうか。
ダンサーとしてのポは本当に優秀です。
留萌で一番好きなところはどこ?
そう聞かれ(その意味を理解することができれば)ポは、間違いなく師町を指差すでしょう。
師町にはダンスハウスがあり、夜毎大きな音楽が流れて若い人々で溢れています。
わたしは元々そういうところに出入りするようなタイプではなかったのですが。
ポが何度も行きたがるので、その内、わたしまで中毒になってしまいました。
ホット、クール、ファニー、ネセサリー、ヘヴィ、ドライ、レイニー、色々。
わたしは、そこで新しい言葉の意味を覚えました。
服装にしても、思い出にしても、友達にしても、家族にしても。
新しい言葉で表現することで、わたしの疲れ果てた部分は幾分癒されました。
アフリカから帰ったわたしは、ポが来日するまでの二年間。
カウンセリングと薬による、安らかな日々を送っていました。
ポにもその話はしています。
留萌川は穏やかな、春の気配を漂わせています。
ポがそれをどのようなものとして感じているのかは分かりません。
わたしは、決してつらいことや、ひどいことではないのだと説明しました。
その内、病院からも足が遠のきました。
無職でしたし、決して安くはない診察代を払い続けることが難しく。
それを両親に頼るわけにもいかず。
わたしは、両肘の内側に残っている点滴の跡をポに見せます。
なんて白い腕なんだろう。
ポも腕を見せてくれます。
黒い腕、白い手の平。
これはいい薬の跡なのだとわたしは言った。
とてもいい薬の跡なのだと。
ポは と言いました。
それはわたしあがまだ知らないポ語でした。
ポには生殖機能がありません。
軍にいる時に奪われてしまったのだそうです。
わたしは一度見せてもらったことがあります。
ポとダンスハウスで踊っていると、不思議とわたしの中で言葉が踊り出します。
そういう時の言葉は息苦しいものではありません。
色んなことを説明しなければならない言葉ではありません。
忘れることを迫る言葉ではありません。
あらゆる言い訳が消えてしまうような気がしたし。
あらゆる言い訳が受け入れられるような気もしました。
溶けてしまいそう。
窓を全開にして地平線に向かって走っていたチアーズ。
ラジオからはラストウィーク。
満天の星と太陽。
風景を煙らせるほどの白い花片が舞う桜並木に沿う緑色のフェンスに凭れているわたし。
わたしの正直さ。
このまま消えることができたら、どんなにいいでしょうか。
溶けることができたら、どんなにいいでしょうか。
消えることを死と呼ぶのでしょうか。
ポの家族はいなくなりました。
何に溶けてしまったのでしょうか。
溶けなかったのはポだけ。
ポはポ語で、ちがうと言いました。
そうじゃない、と。
ぜったいにそうじゃない、と。
わたしの訳が正しければ、ポはそう言いました。
わたしは必ずしも訳に自信がありません。
明け方、帰り道。
留萌川の土手を歩いているわたし達の前にそいつが現れたとき。
ポは、どうしておまえがここにいるんだ、と言いました。
その女は、赤い派手な下着を身に着けていて、下着しか身に着けていませんでした。
靴も履いていません。
この寒いのに。
その手には、アフリカの東海岸でよく見た対戦車用のライフルを持っていました。
きみたち若者は目的も問わない美しさを持っている代わりに理由も問わない。
愚かしいことだよ。
だから何度でも同じことを繰り返す。絶対に。
それはおまえらだって同じだ。
ポはそう言い返しました。
そして鍛え上げられた肉体を解放し。
自らがロケットランチャーの弾丸であるかのように。
激しい言葉の速度のように。
露出狂の女に突っ込んでいきました。
衝撃派に吹き飛ばされたわたしは土手を転がり落ち。
幾つかの植木鉢を倒し、固い冬の土が割れ球根が転がり出る。
ポの突進を、下着女は宙に浮いてかわすと対戦車用ライフルを放ちます。
至近距離で放たれた弾丸は、ポをかすめて背後のショベルカーを吹き飛ばしました。
炎上するショベルカー。
わたしはその炎をどこかで見たような気がすると思いました。
おまえは本当にしぶといね。どうやったら死ぬんだろう。
女の人は笑った。楽しそうに笑って、ポに飛び掛った。
わたしはいけないと思い、さっきまで一緒に踊っていたみんなに一斉送信で助けを求めた。
その直後、飛んできた固い何かがわたしの即頭部に当たって、わたしは意識を失った。
わたしが意識を失っている間に、駆けつけてくれたみんなは、ポと一緒に戦ってくれた。
みんなの元気はその女の人を疲れさせるには十分だった。
でも、とどめをさすことができない。
女の人は空を飛ぶことができたから。
いくら手足にしがみついて、下着を取ってやろうとしても。
危ないと思ったら、強引に飛び上がって。
それでもしつこく下着にしがみついているやつを地面に叩き落すのだった。
ポも疲れ果てていた。
その女は他の誰にも目をくれずに、ただただポを狙ってくる。
仲間の一人はその様子を生中継した。
女狂戦士と人間の群れの戦い。
しばらくすると本物のテレビ局がやって来た。
警察もやって来た。
女の人は何も言わず中空に消えた。
みんなも、面倒はごめんだ、楽しかったと口々に言いながら、散り散りに消えた。
ポは疲れ果てた体で気絶しているわたしのことを担いで逃げてくれたのだそうだ。
わたしが目を覚ましたとき、小学校の藤棚の下でポは力尽きて眠っていた。
安らかな寝息をたてて眠っていた。
わたし、この藤棚の下でいじめられて泣いたことあるんだよな。
だから来たくなかったんだけど、どういうわけだろう。
なんだかここが素敵な場所みたいに思える。
もしかして、わたしも死んで、溶けてしまったんじゃないかと思った。
そのとき配信された映像が理由で、ポは東海岸市に帰らされることになった。
問題を起こしたからだ。
有名になりすぎたからだ。
危険性が隠されていたからだ。
違う。
彼は留萌市を守るために戦ったんだと、わたしは言った。
メディアにも訴えた。
そんなことはわかっていると偉い人達は言った。
偉くない人達も言った。
わたしたちは懸命に彼を守ろうとしたけれど無力だった。
わたしの家族はポを養子にすると言った。
わたしはポと結婚してもいいと言った。
でもだめだった。
なによりも、最終的にはポ自身が帰ると言ったのだ。
行くと言ったときと同じように、ぼんやりと。
わたしがそれを訳して伝えた。
わたしの訳が正しいのかどうかは分からない。
それはポにだって分からないし、わたしにだって分からない。
誰にも分からない。
分かられたくない。
わたしは強い不安感に襲われた。
不安感。
なんて、安易な、言葉だろうか。
気付かない内に、わたしはポ語で不安感を説明しようとしていた。
もう無理だ、もう無理だと手足を震わせながら。
何も手に付かないわたしは、晴れの日にまたあの病院に向かった。
当分の間休診しますという張り紙が一枚あるだけで、カーテンが引かれて。
いた。
「困りますよね」
と、背後から声をかけられる。
「ですね」
と、わたしは答える。
そこにはテニスウェアを着た小柄な女の子が立っていた。
知ってる。
ニュースで見た。
わたし達は互いにそう思ったことだろう。
「園さん、ですよね?」
「市谷さん、ですね」
わたしたちは裏口をそっと破壊して病院の中に入り、狭いベッドで手を繋いでしばらく眠った。
もう片方の腕に、互いに刺しあった点滴をゆっくりと落としながら。
五田と東十は雨を怖いと思った。
どうして、こんなものが空がぼたぼたと落ちてくるんだと思った。
どうして、平気な顔して、傘とかいうやつ一本持って。
あるいは何も持たずに。
あるいは楽しそうに。
雨の中を行くことができるのだろうと思った。
昼下がりの高速道路の高架下。
地味な鳥達と並んで、五田と東十は街を見下ろしていた。
人々はカラオケボックスに入って行ったり、薬局で栄養ドリンクを買ったり。
和装の肩をハンカチで拭ったり、灰皿を囲んで煙草を吸ったり、していた。
泣いている人は誰もいない代わりに、笑っているひともいなかった。
話している人はいたけれど、聞いている人はいなかった。
遠くの人と話したり、見知らぬ人と話したり、人工知能と話したり。
色んな人がいたけれど、聞いている人は誰もいなかった。
そういうものなんだよ。
悪いことじゃないんだ、と東十が言った。
五田は黙っている。
そして、一雨ごとに暖かくなる、と。
ブックスマーケットで覚えたお気に入りのフレーズを繰り返した。
オレは腹に穴開けられて。
わたしは下着を脱がされかけた。
このまま引き下がれるわけがない。
鳥が集まってくる。
鳥は二人の周囲の思い思いのところで羽を休め、小さく身震いをして雨を振り払う。
そして小さな五田と小さな東十になった。
あいつらの行方は分かったかい?
東十がそう聞くけれど、誰も答えない。
雨の音だけ。
頭上の高速道路で、トラックが水溜りを走る音だけ。
雑居ビルの中では、社交ダンスのレッスンに励む人々の姿があった。
見た目じゃほんとになんにもわかんねえ。
ブックスマーケットの言う通りだ。
けれど、誰もブックスマーケットのことなんて信じちゃいない。
なぜなら、ブックスマーケットが何も信じるなと言ってきたからだ。
百冊くらい読んで、ようやくそのことが分かってきた。
でも、もう百冊くらい読むと、別のことが分かってきた。
分かるとか分からないということは、同じ意味なんだということだ。
また百冊。
意味というのは無意味の対義語でないということが分かった。
また百冊。
何を読んでも同じことが書いてあるということが分かった。
また百冊。
その辺りで数えるのをやめた。
なあ、東十。
五田が言う。
いいや、なんでもない。
らしくないよ。
らしくないな。
言ってみなよ。
雨が降っていた。
怖い雨が降っていた。
自分で書きたいと思うんだ。
東十は目を丸くして、そして笑った。
涙を流して笑った。
五田も、小さな五田も、小さな東十も、唖然としている。
こんなにおかしそうに笑う東十を見るのは初めてだったからだ。
五田は恥ずかしくなった。
そうだよな。可笑しいよな。
そんなことしてる場合じゃないよな。
いい年だし。
大体さ、黙ってすることだよな。
一回負けたくらいでさ、弱気になっちまったよ。
やべえやべえ。
これじゃ、何をしにこの時代に来たのか分かんねえじゃん。
な。
耳を真っ赤にした五田が早口で話している間も、東十は笑い続けた。
そして苦しそうに、ごめんごめん、と言う。
あのさ、五田。
五田が書きたいと思ってることくらいさ。
五田が書くんだろうなってことくらい。
わたしが知らないと思ってた?
逆に言うよ。
じゃああんたさ、何しにこの時代に来たと思ってんの?
東十は、ああ、おかしいと涙を拭いながら言った。
五田は言う。
じゃあ、東十は何しに来たんだよ。
わたしは医者の卵だよ。
どこに行ったって仕事がある。
そりゃそうだ。
ビルの上に設置されたデジタルの広告板に新聞社の文字ニュースが流れる。
議会は留萌タワーの再建を満場一致で採択。
三月の第四週。留萌パーティーズの優勝パレード開催。
幌尻山荘。資産家子息と婚約者が遺体で発見された事件の捜査は難航。
行方不明中の従姉弟の消息は依然不明。中学生の目撃情報あまりに多数。
先々週ドライブインに墜落した隕石から文字らしきものが発見されたと留萌大が発表。
わたしには夢がある。
雨が電光掲示板を濡らす。
まるで暗いニュースみたいに。
怖いね、と東十が五田の手を握る。
怖いよ、と五田が言う。
怖いけれど大丈夫だ、と五田が言う。
かっこつけてんじゃねえよ。
かっこつけねえようにしてんだよ。
いつの間にか社交ダンスのレッスンは終わっている。
コーラス部員達がとても難しい和音でハミングを続けている。
助けを求めてるみたいだね。
と、東十が言った。
オレ達をバカにしてるみたいだよ。
と、五田が言った。
。
。
来るとこまで来た?
まだまだだよ。
まだまだ。
まあだだよ。
もういいかい。
まあだだよ。
ぼくたちのおねがいを。
わたしたちのおねがいを。
聞いて欲しくて。
聞くだけで構いませんから。
聞いて欲しくて。
誰に?
誰に?
誰にも。
ジェロニモ。
ジェロニモ兄ちゃん。
テレビの中のジェロニモ兄ちゃん、死んじゃった。
大丈夫だよ。
おまえ、なんにも知らないんだな。
こいつ、なんにも知らねえぞ。
子供だ。
テレビの中は死んでも大丈夫なんだぜ。
そんなわけねえよ。
年末に伝説のラッパーが死んでたけど。
昨日も出てたもん。
バカヤロー!
伝説のラッパーはいっぱいいるんだよ。
そうなの?
悪いことじゃないでしょ。
そうだよ。
生き返ったり、お化けになったり。
生まれ変わったり。
衝撃的な死に方が好評で次はいい役が回ってきたり。
再放送になったり。
あのアニメのあのキャラも同じ声優でしょ?
えー、言われてみれば確かにー。
まだ生きてたんだ、あの人。
もう死んでたんだ、あの人。
もう生まれてたんだ、あの人。
まだ死んでたんだ、あの人。
テレビの中で死ぬということ、考えちゃだめなんだぞ。
ママが言ってたよ。
おまえんとこのママは、おぼこだからな。
仕方ないじゃないか!
こら! 男子!
あ、やべえ。見つかった。
もお。またエッチなこと話してるんでしょ?
あたりまえだろ。
わたしたちも仲間に入れなさいよ。
勘弁してよ花沢さん。
誰が花沢さんよ。
花沢さん、行きましょ。頭の悪いのが伝染るわよ。
やめてよ花沢さんなんて。
エッチな話の何が悪いんだ。
だって赤ちゃんが出来ちゃったらどうすんのよ。
大丈夫だって。
そこまでの話はしないからさ。
手前まで。
だって、この前だってそう言ってたくせに。
だんだんおかしな感じになったじゃん。
ねえ。
そうだよ。
当てたりしないって言ったのにさ。
当てたりしてないよ。当たっちゃうって言っただけじゃん。
そんなの一緒だよ。
違うよ。
だって、おまえが上に乗ってきたんだろ。
乗ってないわよ。乗るよって言っただけじゃん。
一緒だよ。
違うよ。
乗ったら当たっちゃうでしょ。
どこが当たるのかわかんない。
わたしがどういうふうに乗ったか分かってんの?
あたりまえだろ。
なんでわかるんだろうね。初めてなのに。
本能?
違う違う。
思いやりってやつでしょ?
でしょ?
だから、当てないよりは当てるし。
見ないよりは、見るんだ。
違うよ。当てないって言うよりは、当てるって言うし。
見ないって言うよりは、見るって言う、でしょ?
そこ大事だよ。
そうじゃないと危ないもん。
子供ができちゃうもん。
もっと、言う?
もっと言う。
そうだ。言わなかったんだけどさ、なんであの時わたしが黒いパンツなの知ってたの?
見たんでしょ。
たまたまに決まってんじゃん。
絶対に違うよ。
ずっとそういうこと考えてるから分かってくるんだよ。
今日もわかる?
黒でしょ?
すごいね。欲しい?
うん。
テレビの中で死ぬのは問題ない。
果たしてそうだろうか。
問題があるとか無いとかは別にしても、テレビの中の死と、テレビの外の死。
そこに違いはない?
無いかな?
わからない。
テレビの中で知ってる人が死ぬ。
テレビの外で知ってる人が死ぬ。
テレビの中で知らない人が死ぬ。
テレビの外で知らない人が死ぬ。
もしかしたら同じだろうか。
もしかしたら同じかもしれない。
ただ。
テレビの中でわたしが死ぬ。
それは、もしかしたら。
一つ言えることは、テレビの中で死はとてもありふれてしまうけれど。
テレビの外では死はそんなにありふれていないということ。
ほんとうのところは、どうだか、わからないけどね。
ぼく達、テレビ好きだよね。
好きっていうのかな?
いいよね、テレビって。
うん。テレビの中と外が同じ時間っていうのが。ね。
他とは違うよね。
ね?
いいんだよねー?
そうなのか。よくわかんないな。
おじさん、テレビ見たことないの?
あるけど。
じゃあ、おじさんもテレビっ子だ!
留萌タワーが無くなって、空は高くなった気がする。
あれってさ、テレビの電波塔だったんだよ。
え? でも、テレビ映ってんじゃん。
そうなんだよね。
だって、見たくなきゃ消せばいいんだし。
そうそう!
空を真っ黒に覆い尽くすくらい、無数の小さな五田と小さな東十が飛んでいる。
電信柱の影に隠れて固くなっているものを確かめていた男の子も。
小さな納屋の屋根に上がって火照った顔に風を当てていた女の子も。
民家と民家の隙間で、パンツの中に手を入れていた女の子も。
用水路に隠れながら立小便していた男の子も。
車の下に入って、オシッコが出ないようにほかのことを考えようとしていた女の子も。
知らない人の家の庭で交尾しているイヌのことを怪訝な顔で見ていた男の子も。
急に暗くなった世界と不気味な音に、隠れるのを忘れ、幼い綺麗な顔を出し空を見上げた。
これって、テレビかな?
こども達は道路の真ん中に寄り添います。
絶対にそうだよ。
いつの間にかテレビの中に入っちゃったんだよ。
じゃあ、死んじゃう?
空を流れる黒い川から、小さな五田と小さな東十が二十匹程降りてきて。
降りてきて子供達を囲みました。
ぼく、知ってるよ。
テレビで見た。
クジラの中から出てきたやつだ!
こんなちっちゃいの、オレがやっつけてやる!
そう言って一番からだの大きな男の子が飛び込んでいきました。
一匹の小さな五田が男の子の足を掴むと、そのまま空高く。
真っ直ぐに空高く飛んで行き、黒い川に飲まれてしまいました。
それを見たこども達は一人、また一人と泣き出してしまいました。
泣いちゃだめだと言っていた子もすぐに泣き出してしまいました。
小さな五田と小さな東十は、取り囲む円を少しずつ小さくしていきます。
不気味な羽音が、子供達の泣き声をかき消してしまおうとした、その時です。
ついさっき男の子が吸い込まれた辺りの空に渦が生まれました。
黒い川の中に生まれた渦の中心に、学ランを来た中学生が浮いていました。
その腕に、さっきの男の子を抱きかかえて。
中学生は眩い光を放ったかと思うと、ほとんど黒い川を消して青空を覗かせたのでした。
ゆっくりと降下してくる学ラン。
すごい!
ワイヤーも見えない!
学ランはこども達の傍らに降り立つと、ぐったりとした男の子を彼らに預けました。
下がってなさい。
そう言うやいなや学ランの中学生は色んな技を使って。
色んな角度で、色んな色のビームを出して。
小さな五田と小さな東十をすぐにやっつけてしまいました。
最後の小さな東十に袖釣り込み腰を決めた時、結構な量の火薬が背後で爆発し。
中学生はシルエットになった。
この間のテニスの格好したお姉ちゃんじゃないよね!
誰?
誰なんだい?
ぼくは、年也だ。
ボカァン。
かっこいい!!!
オシッコを我慢していた女の子はもう全部出てしまっていました。
内腿を伝う生暖かいものを、年也はハンカチで優しく拭いてあげました。
ハンカチは洗濯して返してくれなくていいからね。
そう言って、それを少女の小さな手に握らせました。
そこまでだ色男。
はひーふへほー。
下手くそ。
ばいきんまんとドキンちゃんの乗り物に乗った五田と東十。
五田と東十が留萌スプリング(泉)の噴水の上に浮いていました。
は。はい、好きです。
ひ。ひどいこと、してもいいのよ。
ふ。臥所。
へ。へ、変かな?
ほ。ほっとけないよ。
黙れ。もうおまえらの好きにはさせない。
あのビビリの坊ちゃんが言うようになったね。
男の子は一日で変わるって、ほんとだったんだ。
そんな簡単に変われるもんか。
好きな子のためだったら変われるのよ。
そういうもんかな? そういうものよ。
でもね、そんなに簡単に変わられちゃあ、医者は商売上がったりなのよ!
東十の目から熱湯が噴き出して、年也の足元に勢いよく注がれた。
泥ハネが年也の学ランを汚す。
やめろ!
くそう。学ランが汚れて力が出ない。
ほらね。
誰か、通販に伝えて~。
くっくっく。なんて言うと思ったか?
何?
もうぼくはあの時のぼくじゃないんだ。
人の心を捨て、年也パンマンとして生まれ変わったんだ!
わたし無理。
オレも。
中学生のノリにはついていけないわ。ごめんね。
ズッコケ三人組でも読んでなさい。あれはほんとに面白いから。
全シリーズ、読んだよ!
そこから始まった年也パンマンと五田と東十のバトルは、三日三晩続いた。
無事に家に帰ったこども達は、三日前のことはもうぼんやりとしか思い出せなかった。
家から出てはいけないと言われたので、録画したアニメやDVDを見て過ごした。
大人たちも録りためていたドラマを観たり、昔読んだ本を開いたり、マンガを読んだりした。
そうしている間にも小さな五田と小さな東十は、留萌市中の 。
彼らも、もう本当にうんざりしていたのだった。
もう、五田が泣くのも、東十が泣くのも見たくないと思っていたのだ。
でも小さな五田と小さな東十は無力感に肩を落とすだけだった。
そうして年也パンマンは破れた。
高圧線に縛り上げられ、指一本動けなくなっても。
年也パンマンは恨みがましい唸り声を上げ続けた。
五田と東十は、畑の真ん中で互いの壊れたところを修理し合いながら、彼の声を聴いていた。
大好きな衛子ちゃんに実は恋人がいて処女でも無いことに、彼は気付いていたかしら。
疑ってはいたかもしれない。でも知らなかったはずだよ。
彼の強さはそういう強さだった。そして、ある意味、それだけの強さでしかなかったんだ。
まるで自分がその壁を越えたかのような言い方ね。
まさか。オレにそんな強さは無いよ。
衛子ちゃん、彼のこんな姿を見たら泣くでしょうね。
泣くかな?
泣いたフリくらいするでしょう?
わかんないよ。女の子のことは。
だから五田はモテないんだ。
知ってるよ。
留萌電力の作業員がやってきて、年也パンマンを高圧線から下ろすまで。
およそ三十六時間。
留萌市内は完全停電した。
信号、鉄道、全てのシステムが停止。
人々は家にいた。
快晴だった。
人々は本を読んだり、鼻歌を歌ったりした。
苛々するものも、すぐに苛々することに飽きた。
手紙を書くもの。料理をするもの。洋服を縫うもの。
働くもの。旅に出るもの。発電しようとするもの。売電しようとするもの。
セックスに明け暮れるのもいた。
そう。あの留萌停電ベイビー達のことだ。
朗読するものもいた。
絵を描きだすものもいた。
歌を作りだすものもいた。
そして、ごく一部の人々が本を書いた。
ん3
もう、この話も終わりです。
また、この話も終わりです。
留萌市内の大通りを留萌パーティーズの優勝パレードが行く。
紙吹雪が舞い。
紙テープが飛ぶ。
オープンカーに乗った選手たちは、沿道に集まった市民達に大きく手を振っている。
暗いニュースが続いた留萌に、どことなくその終わりの雰囲気が漂っていた。
行方不明だった中学生は高圧線で黒こげになって発見されたけれど。
高校生の従姉の方は繁華街の風俗店で働かされているところを無事に保護された。
彼女は何があったのか話そうとはしなかった。長期的な治療が必要とのことだった。
テレビで専門家は言った。
彼女は何かを抑えようとしている。
抑えようとしているものを、無いことにするのは難しい。
しかし、抑えようとしているものを、抑えることならできる。
いわゆる三人目の彼女というやつです。
銀行の屋上に五田と東十の姿がある。
東十は、手元の端末で午後のワイドショーをチェックしながら。
あーあ、このおっさん殺したはずだよね、と言う。
結局うまくいかねえな、オレ達。
こりゃ、帰ったら御仕置きだな。
やだな。
あの御曹司のこと殺しちゃった女の子いたじゃん。
あの子さ、どうして分かったんだろうね。自分だけが殺されるって。
どうしてだろうね。
『賢者の贈り物』見せてくれた連中もいたじゃん。
あいつらはすごいよね。すぐにわたし達の正体見破ってさ。
オレ達も戦闘員にしてくださいだなんて。
でも結局どさくさに紛れて逃げ出したんだろ?
どうしてだろうね。
ね。
言わない。
言わない。
はやくパレードのニュースにならないかしら。
東十がそう言った時だった。
テニスウェアを着た園ちゃんと、リクルートスーツを着た市谷の二人が。
収録中のスタジオにずかずかと入って行った。
行方をくらませていた有名人二人の突然の登場に、ディレクターは、止めるな。
二人はコメンテーター席に座っている先生の前に。
カメラは回り込んで、二人の表情を捉えようとした。
次の瞬間。
園ちゃんが先生の腕をテーブルに押さえつけ、市谷はその腕に注射針を突き刺した。
それはあまりに鮮やかな一瞬の出来事だった。
針が抜かれる。
先生の体はぐにゃりと椅子から崩れ落ちて、女子アナウンサーの叫び声が響いた。
止めるな。
市谷が、二人目、あと、一人、そう言ったのをマイクは拾った。
園ちゃんはカメラに歩み寄り。
おまえらどっかで見てんだろ。
変態とおばはん。
あと一人はこっちの獲物だからな。手出すんじゃねえぞ。
そう言って中指を立てた。
市谷もカメラに向かってポ語で何かを言ったが、誰にも分からなかった。
でも切実だということは誰でも分かった。
こいつは愉快だ。
言った東十は携帯端末を屋上からパレードに向けて投げ捨てる。
悪いやつ、と五田がにやりとして言う。
だって、わたし達は本物の悪者なんだから。
くっそう。正義の味方気取りやがって。
この町のやつら、ちょっとくらい痛い目に遭えばいいのよ。
携帯端末はくるくるときらきらと回転しながら落下していく。
すると小さな五田が一匹と、小さな東十が二匹、どこからともなく飛んできて。
落下するその端末を受け止めたのだった。
あ、あいつら。
どいつもこいつも立てつきやがるな。
五田、こうなったら巨大化だ。全部ぶっこわしてやる。
もうやめようぜ、東十。
だめだ。最後にこれだけはしてやるんだ。
あいつらの思い上がりをぶちのめしてやる。
挑発に乗っちゃだめだって。
巨大化した東十は倒れたままになっていた留萌タワーを拾い上げる。
そして、巨大化した五田に肩車をしてもらい、元あった場所にぶすりと刺しました。
留萌タワーの先端を握りしめて電波ジャック。
わたしたちは……。
どうせ だろ?
ちがう。
わたしたちは……。
わたしたちは……。
わたしたちは、あたなたちなんだ!
なあ、東十。
オレ恥ずかしいよ。
みんな知ってるよ。
そんなこと。
ドライブインでテーブルに突っ伏して眠っていた彼女が。
目を覚ましたとか、覚まさないとか。
そういうので、終わり。
大きなあくび。かわいいな。
は。はじめてなんだ。
ひ。ひかりを見たんだ。
ふ。ふとんの中で。
へ。へんなことはしない。
ほ。ほんとに?
はひーふへほー
。
。
(End)