今宵ポーラへ(2021)

 『李箱のモダニズム研究 1936 年を中心に』(東京大学大学院総合文化研究科博士学位論文 崔真碩)という論文を、たまたまwebで見かけて読んだ。PDFで188頁、原稿用紙にして550枚にも渡る大作であったが、一気に読み切ることになった。
 崔真碩という方のことは申し訳ないが存じ上げない。お幾つくらいの方なのか、男性なのか女性なのか、現在どういう立場にいらっしゃる方なのか、読み終えた今もさっぱり見当がつかない。失礼ながら、お名前をどのようにお呼びするのかさえぼくは分からない。
 東京大学研究機関リポジトリという形で公開されている文書なので、御本人に了承を得たわけではないけれど、そのまま引用したりもしないので、ここで「読んだ」と述べること自体は問題にはならないのではないか、と簡単に考えている。と同時に、ここではほとんど扱わない。
 これは小説だからである。と思う。




 この論文に行きあたったのは、李箱(イ・サン)という日本統治下にあった朝鮮生まれの詩人・小説家について調べている中でのことであった。
 これは小説ではあるが、李箱という人物は実在した。
 Wikipediaによれば「天才と自己欺瞞の両面の評価を受けた」とのこと。現在は韓国で最も権威のある文学賞と呼ばれる「李箱文学賞」に名を冠される。李箱とその代表作である『翼』は、日本における太宰治と『人間失格』の知名度と同じようなものだとの記事もあった。本当かどうかは知らないし、太宰治の知名度を現在においてどのように考えれば良いのかも分からない。




 小説を書こうとする時に、幾つかいつも思い出すシーンがある。簡単に列挙する。

 - 体育館の二階の大きなカーテンが揺れている
 - 友人の家から片道15分かけて缶ビールを買いに行く
 - 原稿の端を小さく破られる
 - 公民館の裏で用を足す
 - 女の子のベッドで一人眠る
 - 長野オリンピック、ラージヒル決勝
 - バール
 - 学生食堂にこぼれたままの蕎麦
 - 国道2号線
 - カーペットの沁み
 - 友人の出してくれる紫色の飲み物
 - 押入の奥の世界文学全集

 もっとあるように思う。大したシーンでもなければ事件でも無い。これらはそれぞれ何かしらの罪と恥の意識に結びついている。書くか書かざるかの問題なのだと思われる。そして書かないことから、私はいつも小説を始める。私だけではなかろう。多くの作家は書かないことで書いてきた。
 書けるのなら書かない。

 同時に、書いてしまうことで書いてきた。
 書けないのに書いている。
 
 私はまた懲りもせずに今回は何を書くのだろう。
 私にでも書いている理由というものについて答えられるとすれば、それくらいのものであり、この本を手に取る人がいるとして、もしも小説というものにそれ以上の何かを求めるのであれば、この小説にはあまり期待出来ないと思う。
 私はまた懲りもせずに今回は何を読むのだろう、くらいでいてもらえるのなら、私たちは一緒に書き読むことが出来るのではないか、と思う。

 なぜこの作者はこのようなことを書いたのだろう、ではありません。
 なぜぼくはこの文章を読んでいるのだろう、です。
 わかりましたかー、と、その清楚ながらも妙に色っぽいところのある先生が教室を振り返った時、生徒たちは無反応であったが、参観のお父さんたちの全員が大きく頷き、お母さんたちの全員がわたしの若い頃にそっくりだわ、と思っていた。
 1936年10月 来日
 1937年04月 客死
 と、先生は黒板に書いた。
 一人のお調子者の生徒が手を挙げる。
「先生。客死って何ですか?」
「旅先とか異国で死んでしまうことよ」
「先生。死ぬのは嫌です」
「そうね。でもみんな死ぬのは知ってるわよね」
「手塚治虫も言ってます」
「そうね。そう思った時に客死ってどうかしら?」
「どうって、どういうことですか?」
「どうって、そういうことよ」




 私がその日『李箱のモダニズム研究 1936 年を中心に』という論文に巡り会ったのは、ただの偶然だとは思えませんでした。そのタイミングの符合について説明することは難しい。
 私の前夜のノートには以下のメモがありました。
 
 1931年 関東大震災
 1937年 李箱客死
 1937年 折口信夫『国語と民族学』

 このメモを中心にして、私は何かを書けるんじゃないか、と考えていたのです。李箱が最初からそこにいたのは確かです。抽象詩ということについて考え続けている中で、私の中で一年以上も放置されていた名前が李箱でした。
 幾つかの日本語で書かれた詩の他に、私は李箱について知りませんでした。そこで見つけたのが先の論文であり、そこに李箱の作品や生涯についての詳しい解説を求めた、ただそれだけのことだったのです。
 その日の私は、穏やかな微睡の中にありました。前日にシーツを交換したので、真っ新な気分で布団の上に転がっていました。
 妻は、その日から新しいパートに出かけることになっていて、朝からきちんとした朝食を時間をかけて作り、いつもよりもゆっくりとそれを食べ、洗い物まで済ませると、キッチンでいつもよりも丁寧に化粧をして、更にNHKのニュースまで眺めているのでした。
 感染者数が増えてきたみたいね。
 地震のときみたいだね。
 原発の時みたいだね。
 戦争の時みたい。
 富士山が噴火したみたい。
 宇宙人が来たみたい。
 結婚式の日の朝みたいだ。
 あなたが死ぬ日みたい。
 君が死ぬ日みたい。
 今日はこどもたちは?
 疎開中じゃない。
 そうだった。
 今日はどうするの?
 休むよ。
 それがいいわ。
 調べたいこともあるんだ。
 ないくせに。
 何だったっけ?
 死なないように。
 君こそ。
 妻の出かけた後の静かな自宅にて。糊の利いたシーツの上で中空を眺める。『李箱のモダニズム研究 1936 年を中心に』に私が巡り会ったように、妻もまた何かに出会っているのだろう。
 webで『李箱作品集成』を検索する。自分の小遣いでは手が出せない価格になっている。クラウドファウンディングで共同購入者でも募ろうかしらん。
 そんな冗談を丸めて捨てて、論文の続きを読みながら、私は小説の続きを書き続けた。




 先生は黒板に『旅行記の終わり方』と書き、「これからの半年間、私の授業では毎回異なる旅行記につ いてその終わり方を取り上げたいと思います」と言った。
 教室の窓の外には、農学部が育てそのまま放置されているのであろう南洋の植物が鬱蒼と生い茂って いる。その上空を小さな飛行船が左から右へとゆっくりと流れ行き、そこに気のせい程度の雨が降ってすぐに止み、白い空から鉄道の音が聴こえたかと思うと、音楽堂の方からは管楽器の抑えられた音色が続 いた。途切れないところからするとそれは電子音なのかそれとも何人もの練習者が次々に音を重ね合っ ているのか判然としない。
 濃い緑の葉には細かな白い毛がびっしりと生えていて先程の雨を弾いていた。太陽は退屈に滲み、また一つに重なり、固く黙る。飛行船はいつの間にか向こうへ遠ざかるように飛んでいる。かと思いきや、気付いたときにはまたこちら に向かって近付いてきている。
 どうして自分達のような障害を身体に残して自由に旅になど行けなくなってしまった者が半年間も他人 の意気揚々とした旅行記なんて読まされなければならないのだ、と僕は思っている。
 しまださんという女の子は左が義足のようだ。他にどのような障害があるのかは分からない。
 僕達は数多の善意によって学ぶ機会を与えられ、学ぶ義務を負っている。世界には学びたくても学べない子供たちや、生きたくても生きることの出来ない子供たちが大勢いる。
 加えて僕達には死んだ子供たちの分も生きる権利が与えられ、生きる義務と学ぶ義務を負っている。
 旅行記が読みたくても読めなかった者達の分も読む権利が与えられ、読む義務を負っている。
 僕は食堂横の自動販売機でペットボトルのお茶を買おうとしているが、車椅子の座面から必死で腰を浮かせてみてもボタンに手が届かない。するとすらりとした女の子が来て、僕の指の先にあるボタンを代わりに押してくれた。黒くて短い髪の毛と、左足の運び方で僕は彼女がさっきのしまださんだということを知る。
 取り出し口からペットボトルを取ってくれた彼女に僕はありがとうとやってみた。 彼女は手話が分かる人でどういたしましてとやって微笑んだ。
 手話、わかるんですか?
 ごめんなさい、わかりません。
 と彼女が笑ったので、僕はがっかりしてしまった。




 2001年 ワールドトレードセンター。同時多発テロ。




 代わりに彼女は鞄からノートを出して、ここバリアフリーとか全然ダメね、と書いた。
 僕は彼女の手からノートとペンを取って、耳は大丈夫、声と足がダメで、と書いた。
「ちょっと待ってて」
 そう言うと彼女は上手に歩いて、それはいわゆるモデルと呼ばれる人々の美しい歩き方とは全く異なるかもしれないけれど、危なげなく健康的な女の子の歩き方で、食堂横の売店に入って行き、しばらくすると小さなホワイトボードとマーカーがセットになっているやつを2つ買ってきてくれた。そして1つにプレゼ ントと書いて、僕に手渡した。
 いいよ。と僕が書くと、わたしは2つもいらない、と彼女は書いて笑った。
 木陰のテラスに空席があったので、僕達はそこで昼食を取ることにした。空席だったのは誰かのひっくり返したてんぷらそばがそのまま放置されていたからだった。しまださんはふきんを借りてきて、こぼれたそばをお盆に移して、テーブルを綺麗に拭いた。
 ガリヴァー旅行記、ほんとにぜんぶよんだ?
 よんでない。
 しまださんは?
 よむわけない。あんな政治書。
 でもレポートはすごく上手に書けてた。
 だれが書いても同じことを書いただけ。失礼だけど。
 しまださんはなんだかえらい。
 えらくない。
 わたしは。
 わたしはそばをこぼしたままいくような人に何も感じない。
 もしもその人のことを責めるのだとしたらわたしはほとんどすべての人のことを責めなければいけなくなる。
 この足のことも、今の生活のことも、だれかを責めはじめたら、あたまの中でみんなを責めることになる。
 わたしはそんなものになんかなりたくないだけ。でも、みんなそうかも。しずかにするの。こそこそするの。こそこそとそばを片付けるの。
 なにもかんがえずに。
 だから、もうえらくなんかなれない。




 『李箱のモダニズム研究 1936 年を中心に』には、李箱の26年という短い人生と更に短い作家としてのキャリアについて書かれているが、188頁という大作の大半を占めるのは1936年と1937年のことである。それは、李箱が日本統治下の京城から来日し、東京神田に逗留しながら東京に幻滅し、論文中の言葉をそのまま借りれば「近代を棄権」し、春には客死するまでに当てはまるが、同時に魯迅の死の直後であり、また牧野信一の縊死の直後であり、横光利一が日本を離れパリにいた時期にも符合する。また、2.26事件の直後でもある。



 魯迅。阿Q、という文字を久々に目にした。
 阿Bと名乗ろうかと思ったがすぐにやめた。




 今宵ラドクリフも立ち止まる。
 そう書いたのはまぎれもない私である。それは譲れない。ラドクリフにも譲れない。
 
 2004年 アテネオリンピック
 
 女子マラソンにおいて、日本の野口みずきが金メダルを手にした。前シドニー大会の高橋尚子に続く快挙であった。
 36キロ地点で沿道に座り込んだラドクリフの姿を私たちは忘れない。長い手足が折れ頸を垂れた彼女の姿は、アテネオリンピックのクライマックスであった。
 その後も世界陸上他で優勝を飾るものの、2008年北京23位、2012年ロンドン棄権と、オリンピックでのメダルには届いていない。
 横光利一は、パリから妻へ宛てた手紙にベルリンオリンピックなど見に行きたくも無いと認めたそうだ。横光利一もまたヨーロッパに幻滅していた。それは、内的植民地化からの脱却、「近代の超克」へと繋がり、大東亜共栄という良心へと至ったと、先の論文にはある。
 今宵ラドクリフも立ち止まる。
 それがあなたにとっては今夜なのか明夜なのかは知らない。




 などと小説をサボってラドクリフのことを調べていると、妻宛の宅配が届いた。顔見知りの佐川急便の配達員と立ち話をする。
 高校の時の理科の先生が変わった人でね、万代百貨店で鳥の頭だけを大量に貰ってくるんですよ。それを二人一組で解剖させるんです。こう縦にしてですね、上から下に皮を剥いでいくんです。
 それはちょっと勘弁して欲しいな。
 昼食前のクラスは嫌だったみたいですよ。
 そうだろうね。
 ぼくのクラスは昼食後でしたが。
 ありがとう、と言って受け取った妻宛の段ボールは思いのほか重かった。差出人は見知らぬ住所であったが、名前は私のものであった。もちろん私の筆跡ではない。
 そして、私くらいになると分かるのだが、この大きさのダンボールで、この重さ。中身はびっしりと書籍に違いない。単行本20冊は下らないであろう。案の定、送り状の品名は『本』となっていた。




 ポーラ・ラドクリフ。1973年。イギリスチェシャー州ノースウィッチ生まれ。ラフボロー大学で近現代語を学んだとあるが詳細は不明。




 ほっそりとした濃紺の長袖のカーディガンが腕組みする。デニム地のスカートの下の足が奇妙な形に 組まれる。わざとらしい考える姿勢と細い眉の間に寄った深い皺。
 本間くん、いっしょに行く?
 どうして?
 今日も大気は何事もなく流れる。木陰にいると時折吹き込んでくる風が冷たく感じられた。光は子供の無邪気さで昼下がりの解放感の中に遊んでいる。いつも同じ速度で移動する人間達と二人乗り自転車、電気自動車に小さなジャンボジェットと人工衛星。目で見る世界は何も変わってはいない。白衣をまとった痩せっぽっち達の投げるボールは自然な変化をしながら相手のミットに吸い込まれていく。池で錦鯉を少年達が掴み取りした。静寂を守る構内放送のスピーカーで遊ぶナナホシテントウ。理学部棟で続 いている増築工事の作業員達は思い思いの場所で昼寝をしている。音楽棟に吹き込んだ風が、無人の指揮者の譜面台から楽譜をさらってしまう。指揮者が不在のまま楽団に一年が過ぎようとしていた。指揮者のいない楽団は同じフレーズを繰り返し練習している。ゴーストの振るタクトを見ず、楽団は目を閉じて演奏を続けている。風は何の匂いも運んでこない。それは私たちの体の問題だ。
 足手まといになる。
 そんなんじゃないわ。
 よりによって同じハンデのやつとなんか行くことないよ。
 その方がいいのよ。
 そうかな。
 あたりまえでしょう。
 水を飲みながら書くしまださんの俯いた顔を見ていて、僕にはそれが暗い表情のように思われた。憂い、諦め、疲労。なんだか少し違う。それは、無数に見たのと同じ、別れの表情なのだと思った。
 下り坂では本間くんの車に乗せてもらえるし。 そんなドラマあったね。
 知ってる。
 なんだっけ?
 わからない。
 ボート部が部員勧誘のビラを僕達のテーブルにも配っていく。風が吹いている。雲が流れている。僕達 は若く、あらゆる時代に似て若く、生きていて死んでいないという状態で、病に侵されていても健康で、そしてどんなものよりも小さい。木々の緑は鮮やかで、しなやかに気持ち良さそうに揺れている。黒い雲 や黄色い雲は遥か彼方にあって、今その気配はどこにもなく、静かに水蒸気の塊が流れていくばかり。 白い鳥に乗った少年が手を振っているのが見える。テラスの学生達はそれに気付いて彼に手を振り返 している。しまださんも小さく手を振っている。
 でもわたしは冗談を言ったりしないわよ。もう。それでもいい?
 それはさ、おたがいさまだよ。
 そう。
 ぼくたちはえらくないから。

 そう。
 もうぼくたちはみんな全然えらくないから。
 そう。そのようにしてわたし達は旅に出ることになる。
 なにかがぼく達の住むところや遊ぶところや学ぶところを奪おうと息を潜めているそんなときに、ぼく達 は旅にでることになる。
 それはきっと。
 それはきっと海を見ていても見えるものではなく、地面の音を聞いていても聞こえるものでもなく、そんな見えないような遠くや、聞こえないような地中深くに隠れているのではなくて、すぐ近くで、それも1人 や2人ではなく、何百人、何千人、何億人もの人が、わたし達が、こそこそと誰にもバレないように、「いいこと」をしながら、いつもセットで「わるいこと」もしながら、わたし達の住むところや遊ぶところや学ぶところ や生きるところや死ぬところまでも奪おうとしているそんなときに。
 そんなときにぼく達は旅にでることになる。




 妻から15時くらいには洗濯物を取り込んでおいて欲しい、とメールが届いた。




 2018年 北海道胆振東部地震




 妻の叔父家族が札幌市内に住んでいた。南区。停電、液状化がテレビで報じられていた。メディアから伝わってくる情報を見る限り、およそ身の危険は無いものとは思われたが、状況も知りたく、携帯電話にショートメールを送ったが反応は無かった。信号も消えた街からの中継を見ていた。携帯電話も繋がりにくくなっているという報道もあったので、きっとそういうことだろう、と妻と話した。
 妻の叔父は生粋のインテリである。学生運動に青春を賭け、技師としてのキャリアを捨て、その後は還暦を過ぎても塾の講師を続けている。札幌から、東京の有名校に教え子を送り込むタイプの講師で、教え子達は今は各大学で教壇に立っているという。 
 数年前に大病を患っているが、今はまた職場に戻っている。
 私の住む街から札幌は空の果てくらい遠いので、なかなか会う機会はない。妻の父の葬儀、その後の法事と何度か顔を合わせた。叔父は、兄(私からすると義父)のことを、「あの人はジャズのひとだったからね」と笑って言った。「まぁ、ああいう医療の仕事だし、若いうちは本当に大変そうだったよ」と言う。そこには、学生運動をする人ではなかったからね、というニュアンスが感じられた。
 義父の生前、妻の実家でテレビを見ながら朝食を取っている時に、「俺たちは政治の季節を生きてきたから、そういうのはなかなか受け入れられないな」と、ピシャリと言われたことを思い出す。何の話題だったのかは覚えていない。随分寛容にしていただいたと思う。その朝、何が議題だったのかが問題だったのでは、きっとない。何について窘められたのか、ではなく、受け入れられないとはっきりと窘められたことが大切なのだ、きっと。
 胆振東部地震から2日後の夜、知らない電話番号からの着信。若い女の人の声。はじめまして、娘です、と言う。家族は皆何事もなく無事だと言う。自宅はまだ携帯電話の電波が不安定なので、近くの安定するところまで自分が出てきてかけているのだ、と彼女は言った。
 また飲んでるんでしょう? と言うと、飲んでますね、と彼女は笑った。真っ暗な交差点まで歩いて出てきている身も知らぬ女の人のことを私は想像している。そして、私とその女の人が全くの逆であったとしても、おかしくは無い。
 李箱は東京から京城に宛てて手紙を書いている。
 札幌ドームの近くに叔父家族は住んでいた筈だ。
 折口信夫は「天つ罪」を「雨の慎み」と説いた。霖雨期の謹慎・禁欲生活、と彼は言った。




 でもね。
 なに?
 もしそうだとしたら「旅行記の終わり」というもの、何がありえるのかしら。 わたし達の場所を救うこともないお話なんて、終われないんじゃないかな。もしかして終わりがないのかな。
 あるよ。
 あるよね。
 わからない。でも、いつもあった。
 今もある? でもそれはきっとあの講義を聞いてみるよりも、やってみた方が手っ取り早いし、何より間違いがない。 そりゃそうだよ。
 もしも死んで、死んだ人に会えるとするとね、もしも。死んだ人のいる世界にとっては、ここはみんなの未来。いいえ、未来だった、と言うべきかもしれない。そんな死んだ人の世界に行って、死んだ人と会った死んだ私にとって、ここは過去? いいえ、もしかすると、未来だった、と言うべきかもしれない。なぜならそれはみんなの未来だから。
 変なの。
 もうやめよ。もしもの話だとしても、変な言葉だし、変な国。
 少シ風ガ強クナッテキタノデ、窓際ノ席ノ人ワ窓ヲ閉メテクダサイ。アリガトウゴザイマス。国ト言葉ガ同 ジナノダトシタラデスネ、国ト本ハ、国ト物語トモ言エマスガ、同ジモノトイウ、アル意味デ羨マシイヨウナ、 幸セノヨウナ時代ガドコノ国ニモアリマス。ダカラ私ワアナタ達ガ羨マシクモアリマスシ、気ノ毒デモアリマ スシ。ソレハ、コレカラ或イワ既ニ、国ト言葉ガハナレバナレニナッテイク時代ヲ生キルカラデス。国トイウ 言葉サエ、国トハ異ナルモノニナル、ソンナコト想像サエ出来ナイノデハナイデショウカ。国ト呼バレルモ ノガ国デ、愛ト呼バレルモノガ愛ダト、ソウイウモノダト教エラレ、考エテ来タノデハナイデショウカ。マタハ 国トワ政治ノコトデアリ、言葉トワマルデ他人ニ意思ヲ伝エル方法ダト考エテキタノデハナイデショウカ。 私タチノ国デハ、既ニ国トイウ言葉ハ昔話ノ中ニシカ登場シナイ死語トナリマシタ。ケレド、カツテ国デ アッタモノワ今モ残ッテイマスノニ。ソレハ細カク分類サレ、機能ノ名前ニナッテシマイマシタ。ソレワ1ツノ 例デスガ、サテ、アナタ達ワドウシマスカ。ドウシタイデスカ。今ナラドウニデモデキル、ト私ワ思イマス。 私ニワ出来マセン。シカシアナタ達自身ニハ出来ル。ココヲ命ガ生マレ死ヌ豊カナ緑ノ土地ニ任セテ死ヌノモ、イツカ誰カガ夢見タ新シク素晴ラシイ再生ノ物語ヲ語ッテ死ヌノモ、近付クコトサエ許サレヌ穢レ タ忌マワシイ海ヲ詩ニシテ死ヌコトモ。私ワ信ジテイマス。笑ワレテモ笑ワレテモ信ジテイマス。アナタ達 ノ不器用ナコトバワ、アナタ達ノ遺伝シテキタ素晴ラシイ言葉ワ。サテ、ソレニシテモドウシテ今日ワ無花 果トカリフラワト南瓜ト花梨ト檸檬ノ人シカイナイノデショウカネ。フルゥゥゥゥゥツバスケット!
 テラス席では、真っ黒に塗りつぶされた互いのホワイトボードを交換し、それをどちらが先にペンキャッ プのフェルトで消せるか競い合う、少年と少女の姿があった。
 彼と彼女の上空には大きな白い鳥が風に乗って周回している。でもそれは鳥ではなくて、本当は飛行機だ。ただの飛行機でもなくて、タイムマシンに似ていて、音がなくて、それはこのところよく目撃されていると いうタイムマシンというやつにとてもよく似ていて、ただの飛行機ではない。とても高価な感じがする機体だ。そこにまた音もなくおんぼろの巨大な飛行機、というよりも、空母のような、ツギハギだらけの船体が姿 を現し、タイムマシンのようなものを追い掛け回す。その空母は本当に薄汚れていて歴戦の英雄といった感じで、「タイムマシンなんてものは排除する」とでも言いたげに重くヒステリックな体当たりを何度も仕掛けるけれど全てかわされてしまう。ネズミとネコみたい。滑稽で、のどかで平和な風景。 風は少しずつ強くなってきているような気がする。彼女の短い髪を吹き上げ、つるりとした綺麗な額を 露わにする。
 綿帽子が青い空に吸い込まれるように飛んでいく。それでも音楽堂からは「物憂げな旋律」が流れてくる。その「物憂げな旋律」は本当は子守唄のように優しく波打ち際のように美しいだけなのだけれど、優しさや慈しみといったものを今日の大気は物憂げに変えてしまう。虚ろにしてしまう。子供達が眠れないよ うに、波打ち際で遊べないように。
 ある日、いつもの空に気のせいかというような小さな黒い点が1つ現れたとき、それがひとつも動かない 点であったとき、世界中の偉い学者達がどのような望遠鏡や数式を使ってみてもそれが肉眼と全く同じで針先のような点にしか見えないと立ち尽くすのなら、どこかで何かは必ず起こるとして、ここぞとばかり に現れる人々が必ずいる。
 まるでその小さな点が大きな災いの前触れであるかのように。 そのとき、私たちにはそういった人々から守るべきものがあると考えているけれど、守るべきものが何で あるのかも、どのように守ればいいのかも、その戦いがどういう形で終わるのかも、きっとすぐにはわから ない。
 でも私はこう思うことにしている。
 そのような黒い点は、これまでだって無数に私たちの身の回りにあったのだと。そして、ある時は取り返しのつかない犠牲を払い、ある時はただ洞穴の奥で寄り集まって励まし合い、 ある時は愛する者の頬を張り、ある時は永遠の嘘をつき、ある時は何かに祈り縋り求め呪い叫び、そして 許し忘れ別れ出会い見て聞いて何事もなかったかのように笑って、そんなふうにしてやり過ごしてきた。私たちは、そんなお話をたくさん知っているじゃないか。
 なあ、そうだろ?
 鳥の鳴き声が聞こえる。鳥が帰ってきたんだ! そう思って私はベッドを飛び出した。 義足を睡眠設定にしていたから少しバランスを崩したけれど大丈夫。カーテンを開ける。でも窓の外は暗く激しい雨で鳥が鳴くような朝ではなかった。それでも私の顔は明るかった。その鳥は私の知っているような鳥ではないかもしれない。それでも構わない。 もうすぐ近くまで来ている。
 そんな気がしたからだ。




 ナザール・ボンジュウを彼女はくれた。
 お世話になったので、と流暢な日本語を話し、辿々しい手付きでそれを私に手渡したのだった。
 私はそれほど彼女のお世話をしていなかったし(出来なかった)、また、その青い目玉のような少し不気味な感じのする石のことも初めて見たので戸惑ってしまった。
 トルコからやってきた彼女は数日間私と同じ会社で働いていたが、仕事中の過呼吸を何度か繰り返し、そして「女優になる夢を続けたいです」と告げて去って行った。
「これは邪視から守ってくれます」
 と彼女は言った。
「邪視、分かりますか?」
「分かるよ」
 私は答えたが、よく分かってはいなかった。
 彼女は邪視に晒されていたのだろうか。
 彼女は女優になることは出来ただろうか。いや、女優になる夢を続けることが出来ているだろうか。




 既に日が沈んでいる。
 洗濯物を取り込むのを忘れていた。
 まだ妻は帰宅しない。

 1938年 太宰治、井伏鱒二を三ツ峠に訪ねる。

 東北大学・片平キャンパスには魯迅像が立っている。この国には一体どれほどの像がその冷たい瞳を中空の一点に向けているのだろう。個人が望んだことではあるまい。それでも、今もなお中国からの留学生たちが魯迅の面影を訪ね、キャンパス内で記念撮影をすると聞く時、興味なく像の周囲の除草などを担当している清掃担当者への謝意を覚える。




 持ってきたGPSのデジタル表示が、目的地設定した緯度経度と同じ数値を示している。間違いなくGPS信号が消えた地点に立っていた。そこはただの雪の道だった。
 どこからどこに向かうために人が作ったのかも知れない、林の中の一本道。今日は雪も降っていない。風もほとんどなく、気持ちのよい天気だ。何日かぶりにフェイスマスクも取っ て僕は、そこに立っていた。 ここから信号が出ていたということは、この雪の下にGPSがあるということになる。
 ザックを下ろし、シャベルを取り出す。シャベルはアルミでできていて軽い。雪にシャベルを入れようとした時に気が付いた。道の真ん中にうっすらと、二本のスキー板の跡と、それと重なるように人間の足跡のようなものが、ずっと先へ続いているのだった。いや、これはスキー板の跡ではない。タイヤだ。車椅子と、それを押す人? まさか。こんな雪深い、しかも新雪の中を車椅子などで進 めるはずがない。しかし、昨夜の雪のことを思うと、明け方から今しがたまでの間に付いた跡ということになる。
 自分が歩いて来た道を振り返ってみた。膝まで埋まりながら進んできた汚い跡がくっきりと残っている。しかし、車輪の跡などはどこにもなかった。この場所から車輪の跡が始まっていることになる。あるいはこの場所まで続いて消えた。
 しばらくシャベルに凭れかかるようにして、その跡を見ていた。そのときの自分が何を考えていたのかは分からない。澄み渡った空。時折林の上をかすめるように吹く風に、揺れて触れ合いざざざと音を立てる細い枝々。 白い道は所々できらきらと輝いている。冷たい空気と太陽の光のぬくもりの間で、溶けては凍って消えていくプリズム。白く眩しい光と青い空の世界でゴーグルの下の目を細めて、何かを考えながらそこに立っていた。きっと、誰かの幸福や人類の幸福、地球を守ることや分かり合うこと、そんなこととは全く関係のないことを考えていたのだとは思うのだけれど、すぐに忘れてしまった。全てがその林と道と空に吸い込まれてしまって、残されたのはいつも通りの世界だった。ため息。きっと世界のほとんどはこんな感じなのだろう。美しいのだろう。シャベルで雪を掘り続けた。テントを設営するために掘るのとはわけが違っていた。深く掘るにつれて重く固い雪。一ヶ月やそこら程度で、そんな深く積もるものなのか。鈍りきった腕や背中が悲鳴を上げる。額や首筋には汗が吹き出し、アウターを一枚脱いで掘り続けた。 ここを掘って父と母の死体が出てきたら、そう思う僕は少年だった。
「ただいま電話に出ることができません。ピーッという発信」
「僕です。これから引き上げます。何もありませんでした。おかしな話ですが、もう僕にはどうしようもないので帰ります。でもとても綺麗なところだった。次はパスポートもとって、夏に一緒に来れたらいいんじゃ ないかな。夏だったら何か見つかるかもしれないし。じゃあ、携帯の電源はまた切ります。次はそっちが 二十時頃にかけます。では」
「さっきはごめんなさい。バスで出かけてたんです。あのね、私、嘘をついてました。パスポートがないわけじゃないのです。実は、ちょっと調子が悪かったので行きたくなかったんです。一人で行かせてしまってご めんなさい。無事で本当に良かったです。気をつけて帰ってきてください。次の電話待っています」
「遅くなりました。遅くなってしまったので、もしかしたらもう寝てるのかもしれませんね。体調が悪いということだったけど大丈夫かな? 少し心配です。こちらはあまり天候が良くありません。昼までは綺麗に晴れてたのに、夕方には吹雪になりました。GPSもあるので道を見失うようなことはないと思います。今夜は大きな岩があって、風を避けてテントが張れました。でも寒いです。はやくそっちに帰って湯船に浸 かりたいです。また明日連絡します。おやすみなさい」
「おはよう。今朝は電話がなかったようなので心配しています。昨日は頑張って待っていたのですが先に寝てしまいました。貴重な電池を使って鳴らせてくれてるのに気付かなくてごめんなさい。電話が繋がっ たら言いたいことがあるので、早く繋がることを心待ちにしています。でもあまり無理をしないようにしてく ださい。天気予報を見ると、そちらは低気圧にすっぽりと覆われていました。こっちも降っています。あと、私の体調ですが心配ありません。では」
「ごめんなさい。とても心配しています。もしかして圏外に出てしまったのでしょうか。バッテリーがなくなっ てしまっただけなのかもしれません。そうであることを祈ります。心配性だと笑われてもいい。これを聞いたらすぐに電話ください。必ず出ますので」
 既に人類は宇宙への挑戦を諦めている。何度も繰り返されたロケット事故。宇宙から帰還した者達に 訪れるあまりに早すぎる死と自死。経済状況、国際情勢の悪化、度重なる巨大な自然災害、何も間に合 わなかった資源枯渇。人類が宇宙を目指していたことなど遥か過去のこととなってしまった。 人は皆、淡い色の着衣を身に纏い、地を這って暮らした。人の移動は制限され、それは二度と解除さ れることはなかった。 何万年も昔の光を自分達は見ていると言う。そして何万年も未来の私達が、今の自分達の光を見ているという。私達は間に合わなかった。地獄の釜のふたを開けることさえできぬまま、星が酸化していくのを待つばかりなのだ。プラネタリウムなんて、もう全然流行らない。宇宙にはロマンもファンタジーもない。世界を覆う蓋に過 ぎない。絶対に開かない錆びた蓋。私はただの館員として人々を誘導し、開始のベルを鳴らし、気分 が悪くなる客がいないか館内を監視している。 今時プラネタリウムに星を見に来る人というのは変わり者か、ただ暗闇を求めてやってくるカップルくら いのものだ。座席の陰でごそごそと動いているカップル達の影を私は見ている。幾億年も前の光、それ も作り物の光を見ている人と、その弱々しい光の下で体を触り合うカップル達であれば、私はカップル達の方に賛成。でもできることならこんなところじゃなくて、ちゃんとホテルに行ってやって欲しい。 満室? 何万光年も向こう、何万年も未来の私達も、狭い座席に隠れるようにして変な姿勢で服の下に指を滑り込ませている。何万光年も向こうで輝く、この作り物の光の群の1つ1つの中で、息を殺して隙間から指を入れる私達が、ふとシアワセだと感じ合えるのならば、私達は作り物の光の温もりだって抱いて生きて いける。それは作り物だけれど、人々が争い奪い合うあんな星よりも、こっちの方が私達はいい。

 彼はザックも持たず、雪の中を駆けるように進んでいた。ザックを無くし体が軽いのもある。来るときに比べれば、ある意味で危険な速度で彼は山を下ろうとしていた。 大きなザックは朝まだ早い雪崩に奪われ谷の方へ消えた。ザックに付けていたGPSも、入れていた電話もテントも失った。彼にできることはとにかく早く山を下ることだけだ。うまくいけば日が暮れる頃には集落のあるところまで 戻れるかもしれない。本音を言えば、その計画にはほとんど根拠はなかった。2日半かけて歩いて来た道を、1日で下りるこ とが可能かどうか分からなかった。今自分がどれくらいの位置にいるのか、そして、正しい谷を下ってい るのかも、彼には分かってはいなかった。それでも、夕暮れまでに辿りつければ。その思いだけで彼は 深い雪の中をもがきながら駆け下りていた。
 視界もなく、寒ささえほとんど感じない中を。




 そんなに太くて短い指で、よくそんなに弾けるものね。
 女はそう言った。俺は無視した。
 誰かが言った。
 見たか? あの女、指が少ないんだぜ。
 俺は無視した。




 『李箱のモダニズム研究 1936 年を中心に』に書かれているのは、李箱の作品論や作家論にとどまるものではない。副題にもあるように1936年という、朝鮮半島と中国大陸と日本列島、そしてヨーロッパという時間や地勢の元に、近代というものの飽和期、あるいは、限界と向き合わざるを得なかった人々、そして戦後を見て、戦犯として吊し上げられ間もなく脳溢血で他界することとなった横光を含め、植民地化、内的植民地化、日中戦争への突入に対する移ろいを辿る。


 善意。


 帰宅した妻はぶつぶつと洗濯物を取り入れながら、すっかり街の様子は変わってしまってたわよ、と言う。
 なんだか妙に明るいのよ。
 お店も開いてないでしょ?
 人もあまりいないし。
 なのに明るいのよ。とても。
 静かで。
 暗くないのよ。
 そう。お正月の朝みたいに。
 休みになったら、目一杯オシャレして散歩に行こうね。




 あの先生、大丈夫かしら?
 どうだろう? ぎりぎりなんじゃないか。でも僕達にはもうどうしてあげることもできないよ。
 むっちゃんを手伝おうとしてこんなところまで来てるんじゃない。冷たいんじゃないかな?
 そう言われてもさ。みっちゃんが助けてあげれば?
 嫌よ。自分が美人に弱いからこういうことになったんでしょ。よくわかんない情報なんか掴まされてさ。
 なんだったんだろうな、あれ。
 みっちゃんが止めてくれなかったらさ、僕なんかはあれに全部もっていか れてた気がする。
 だから勘が悪いって言うのよ。
 でもあれがおかしな話だったかどうかなんて結局わからないだろ。もしかしたら、僕たちの星に帰っ てるかもしれない。
 ばーか。あの話にあるような平和で安全なところ、なんていうのがあるところはね。
 あるところは? どこどこ?
 あの雪の下にはなかったね。
 あんなの罠に決まってるじゃない。むっちゃんの大馬鹿! なんであんたがナンバーワンなのか、よー くわかった。あんたは、ほんっとにナンバーワンだ。でもむっちゃんはなんにもできないから!
 みっちゃん、そんなの僕だってわかってるよ。僕は彼のことを助けてあげることもできない。予言の力よりもずっと大切なものがある。そうだろ?
 分かってんじゃない。
 分かってるよ。
 彼、あんな綺麗な奥さん残して死んじゃうのかな。
 ほんと、奥さん綺麗だよな。
 人妻よ。
 誰もどうこうしようなんて言ってねえじゃん。
 それに、おなかに赤ちゃんもいんのよ。
 え、赤ちゃんできたの?
 勘が悪すぎる。
 
 あっ
 
 雪崩。それは一瞬にして彼を襲った。今朝ザックを流し去った雪崩とは規模が比べ物にならない。彼 は右にごごごという地鳴りのような大きな音を聴いた。それは聴く、というような生易しいものではない。足元から脳へ突き上げるような不愉快な振動だった。反射的にそちらに顔を向けた瞬間、雪の煙が森に溢れるのを一瞬見た気がした。しかし彼が表情1つ変える間もなく、白い色をした巨大なエネルギーの塊が辺りの木々を薙ぎ倒しながらその体に襲い掛り、彼は意識を失った。失う瞬間、声を聴いた気がした。そ れが本当かどうかは誰にも分からない。彼本人にだって分からないのだから。




   暑い夏の日に、
   道の真ん中に、
   誰かのソフトクリームが落ちてたらね、
   あなたがバケツに水を汲んできて、
   綺麗に流して掃除しなさい。
   そんなのあたりまえのことでしょう。
   そういうものを、
   ほっといちゃだめよ。
   私達があなたに教えてあげなければ、
   いけなかったのにね。




 彼の体が白い渦に飲み込まれる瞬間、その体は弾き飛ばされるように、まるで凄い勢いで斜面を下っ てきた二人乗りの車椅子にはねられたかのように、雪崩の外側へと投げ出さた。雪崩は雪を軋ませながら止まった。
 森にはまた風の音だけが轟いている。
 やがて倒れた木々の脇で、彼は目を覚ました。そして手足に怪我のないことを確認すると、雪崩の跡の上を越えて、また山を下り始めた。 そこには二本の車輪の跡と、人間の足跡が続いていた。
 彼はそれを辿るように森の中を進んで行った。

 ねえ、むっちゃんがあの先生助けた?
 なんにもしてないよ。
 みっちゃんじゃないの? ちがうわよ。あたし、女を殴るようなやつを助けたりしない。それにあたしが助けるのなら、あんな車椅子なんか使ったりしないわよ。
 なんだったんだ今の。




 夕食後、ダンボールの品名欄に書かれた『本』を、私は『小説』に書き直した。もう何度目か知れなかった。どっちだっていいでしょう、と妻は言う。それが良くはないんだよ。
 次は、そのダンボールの送り状にある住所を訪ねるところから話は始まらなければいけない。きっとその南青山の雑居ビルには白いワイシャツを着た女の人がいて、どうやら私のことを知っているようなことを仄めかすだけで、慌てて何処かへ飛び出して行ってしまうのだ。リベラはピッチャーだと、あの子は言った。おっちゃんは「ムーアが打ちよった!」と叫んだ。




 先述の通り『李箱作品集成』は現時点では高価なので手に入れることが出来ない。嘘だ。決して買えないというような金額ではない。私はただ買わないだけだ。
 『李箱のモダニズム研究 1936 年を中心に』の終章の後、付録のような形で東日本大震災と日本の原子力発電事業について書かれていて、少し意外な感じがした。おそらく発表されたタイミングによるものであったのであろうと思われる。そのことはいい。そこには、李箱の有名な詩『烏瞰図』が転載されており、読むことが出来る。十三人の子どもが道路を疾走しながら怖いと言っているあれである。そして魯迅の『狂人日記』そして「吶喊」が引用され、魯迅と李箱は”子どもを救え!”と言っていると作者は言う。その点について、現時点の私は分からない。




 ホテルのロビーで一人の日本人らしき男が電話をかけている。
「ねえ、帰ってきたらぶん殴っていい?」
と受話器の向こうの女が言う。
「いいよ」
「一週間くらい休める? まだ有給残ってる?」 「出産には立ち合いたいからさ、その分だけは有給残して殴ってもらえるかな?」
 と、その日本人は言った。




 最後に。

 同じことの繰り返しに見えるかもしれない。同じ過ちの繰り返しに見えるかもしれない。耳元の声は消えたりしないかもしれない。
 それでも。
 誰が何と言おうが「始まり」なんだと。
 あれは何万光年も彼方の、何万年も過去の光ではない。
 何万年も未来の今ここの光だ。




 良かったね。嬉しそうで。
 うん。
 何よ。むっちゃん、まさか未亡人になってもらいたかったんじゃないでしょうね。
 みっちゃんさ、僕のことをなんだと思ってんの? なんだか気が抜けたんだよ。
 ところでさ、あたしたち大丈夫なの?
 何が?
 あたしたちの星にさ、ちゃんと帰れるの? ねえ。場所分かってんの?
 さあ。
 やっぱり。さあ、じゃないでしょ。嫌よあたし。こんな星に住むのなんて。あたしはあたしの星が好きなの。変な星かもしれないけどさ、あたしはあの国が気に入ってるのよ。ねえ、なんとか言いなさいよ。
 あのさあ、みっちゃん。
 何?
 本当に綺麗だよな。このあたりの海も森も。
 かっこつけてもだめよ。
 僕はみっちゃんがいてくれたらどこでもいいよ。
 そりゃそうだけどさ。あたしはいい暮らしがしたい。
 ありがとう、みっちゃん。
 むっちゃん、ちょっと、待って。聞いてる?
 なんだったらここで今すぐでもいいんだけど。ねえ。
 んもう。






(End)

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