category:小説ドッキング
夏のしにがみ
保冷剤をいっぱいタオルでくるんで、枕代わりにする。
あべは遠雷を聴きながら、停電にならないかな、と思っている。
そうしたらみんな一緒、みんな平等。俺だけが退屈なわけじゃなくなる。
分かっている。そんなのは嘘だ。
結局、俺だけが退屈で、俺だけが何を撮ればいいのか、すぐに分からない。
大事なものを好きなように好きなだけ撮りなさいと南先生は言った。俺は見逃さなかった。南先生の目によぎった逡巡の光を。大事なものなんて無い人はどうしたらいいんですか、という質問をあの時先生は恐れていたのだ。けれど誰もそんな質問をする人はいなかった。
俺は思う。
南先生の逡巡を拭うためには誰かが尋ねてあげた方がいい。
俺は思う。
南先生の逡巡は拭われたりしちゃいけないと思う。
大事なものは人によって全然違います。誰かの大事なもののことをみんなは笑ったりしてはいけないと思います。それは、自分の大事なもののことも笑われるということだからです。
南先生は今頃ビール片手に夏休みを謳歌しながら、なぜ文部科学省は指導要綱に「大事なもの」なんて書き方をしたんだろう、などとやさぐれているだろう。どうして撮ったものが大事なものになるって、教えてあげないんだろう。
南先生、ちょっと飲み過ぎですよ。