夏のしにがみ
「衣装の人にバレないかな?」
「バレるでしょ」
結婚式の直前。
あべと妻はスタッフの目を盗んで控え室を抜け出し、中庭の隅で煙草を吸っている。
「ヴェールさ、上げた方がいいんじゃない? 火事になるよ」
「結婚式、何だと思ってんの? ナメてんの? それともアホなの?」
「アホなんだよ」
と言って、ヴェールを上げようとするあべの手を妻は払った。
「私はアホではありません」
「そうでした」
日本式の庭園に南国の花々と奇妙な石像たち。真夏の光。
「いいねえ」
「いいよねえ」
と、二人は笑った。
「ウェディングドレス、何回目だっけ?」
「嫌なことを聞く」
「悪意じゃないよ」
「数えてないな」
「綺麗な答え」
「ほんとに。覚えてない。撮影で着たのも合わせたら、二十回以上、かな」
「ああ。撮影ね」
既に式場の中には参列者の人々が入っていて、きっと聖歌の練習や、サプライズの打ち合わせなどをしているのだろう。披露宴会場には真っ新な食器が並べられ、スタッフが最後のチェックに忙しく歩き回っているに違いない。
「あのあべくんと結婚することになるとは思わなかった」
「みんなそういうもんだよ」
「絶対わたしじゃないと思ったな」
「俺は確信してたけどね」
「なんとでも言える」
「死の鎌がすぐそこまで来た時、いや、死の鎌に触れた時だったかもしれない、たぶん俺のことを救ってくれたんだ」
「記憶にない」
「深い深いところで一緒にいたんだ。一緒になるしかなかったんだよ」
「やっぱよくわかんないな」
「どうでもいいことだよ」
煙草を消して、あべの携帯灰皿をポケットに入れた。
「ねえ、これで最後だからもう一回聞いてもいい?」
そう言って妻はあべの手を強く握った。
「あべくん、あなたはなぜこどもだったの?」
あべは言う。
「不思議だけど、みんな元々はこどもだったんだ」
スタッフが呼ぶ声が聞こえる。間もなく式が始まる。
妻は「うん、そうね」と言った。
そして「ごめんなさい」と。
あべは「いや」とだけ言い、「行こう」と妻の手を引いて光の中へ歩き出した。