夏のしにがみ

 黒板に「しにがみ」の文字。
 南先生が話し出す。
 死神というのは、命を強引に略取する存在、あるいは死への欲望をかき立てる存在、とされています。なんとなく怖いイメージがありますか? 怖い顔、怖い声。そうですね。歩いた跡の草や花は枯れ、その鎌を一振りすれば、動物たちは鳴き声一つ上げることなくばたばたと地に伏せてしまう。出来れば夜道、じゃなくても、昼間でも会いたくありません。
 でも少し考えてみたい。
 去年、先生のお母さんが死にました。先生は一週間、学校を休んだので知ってる人もいると思います。先生のお母さんは、大体みんなのおばあちゃんと同じくらいの年です。この中には、おじいちゃんやおばあちゃんのお葬式に行ったことのある人もいますね。
 先生はとても悲しかった。なぜ悲しいのかは分かりません。もう会って楽しく話すことが出来ないから? お母さん死にたくなかっただろうなと考えたら可哀想に思えたから? お父さんが悲しそうだったから? 少し違うような気がします。先生にはお母さんとたくさんの覚えきれないくらいの思い出があって、そのことについてお母さんにきっと感謝しているのだけれど、ありがとうと言ったこともあるけれど、でも感謝してもしきれない。そのままお母さんが死んでしまったことが、とても悲しいのだと思いました。
 でも、先生は今日も元気です。今日も悲しいかと言うと、もしかしたら少し悲しいです。でもそれよりもずっと楽しいです。お葬式の日、お母さんのお母さんとか、お父さんやお母さんの兄弟とかその家族が集まりました。みんなの行ったことのあるお葬式がどんな感じだったのかは分かりません。。先生のお母さんのお葬式は、そんな感じで、久しぶりに会う遠くの親戚、大きくなった従兄弟とか、新しく生まれた赤ちゃんとか、たくさん集まってお通夜があって、みんなでごはんを食べました。先生のお父さんは足が悪いので車椅子に乗っています。先生はお父さんの車椅子を押して、色んなテーブルにビールを注いで回りました。綺麗になったねとか言われたり、また結婚しないの? とズケズケ言われたり、でもとても楽しかった。先生は楽しかったんです。お母さんの若い頃の話とか、初めて聞きました、というか聞かされました。お父さんとどうやって知り合っただとか知ってる人がいて、お父さんは「やめてくれよ」と言っていましたが、でもやっぱり楽しそうでした。
 赤ちゃんのおむつをね、おばさんが替えてあげる、わたしはここにいる子たちみんなのおむつを替えたことがあるのよ、とか言ってやってたら、途中で赤ちゃんがぴゅーってオシッコしちゃって、びっくりしておばさんひっくり返るし、おばさんの高そうな着物が汚れちゃったの。そしたら、おばさんもみんなも大笑い。
 お母さんが死んだことはとても悲しかった。今もきっと悲しい。
 でも、お葬式の日でさえ、先生は楽しかった。たくさん笑った。笑うことが出来た。
 死ぬことは怖いです。先生は出来るだけ死にたくない。たくさん生きて、お母さんだけじゃなくて、お父さんも、友達も、みんなにも、ペットのキトーにも、まだまだありがとうとか、ごめんなさいとか、ありがとうを言いたい。言わなきゃいけないと思う。だからまだまだ死にたくないし、まだ死神に会いたくはない。
 でも、先生はお母さんのお葬式の時のことを思い出すと、その時死神はどんな顔をしてたんだろうな、と思う。ガイコツみたいな顔だったら、顔の筋肉もないから、表情なんて無いのかもしれない。でも、なんとなくちょっと笑ってる気がする。だって、死神だって神様よ。悪魔じゃないの。いや、悪魔だって笑うかもしれない。
 死神の仕事。とても辛い仕事です。もしかしたら好きでやってるわけじゃないのかな。でも、みんな遅かったり、早かったりするけど、死んでもらわなきゃいけない。どういう順番かは全然分からないし、本当にひどすぎる順番もあるような気もするけれど、順番に。そうじゃないと、世界が人や動物で溢れて、海の向こうに落っこちたり、ひどい争いも起きるから? ってこととか? 事情があるんだと思う。わかんないけど。それが死神の仕事。だから、どんな辛い仕事だったとしても、ちょっとくらい楽しいことが無いといけないと思う。だって、死神もいつかきっと死んでしまうんだから。
 死神だって笑ってもいいと、先生はそう思います。
 南先生は喪服のポケットからハンカチを出して顔を覆った。
 そして「こんな授業が出来たらいいんだけど」と言った。
 教室には最初から生徒は誰もいない。
「私はそれでも先生になりたかった」
 そう言って、顔を覆うハンカチを取ると、死神の顔。

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