夏のしにがみ

 実家の「強」にされた扇風機が唸るような音を立てている。首振りはせず、ある一点だけをめがけて気体を加速させ続けている。その先にある、大きく丸い生き物はほとんど動かない。たまに仰向けになって、退屈やなあ、とか、今ってもう朝のアニメ劇場枠は無いんやなあ、とか、学校にもプールが無くなってLGBTQですなあ、とか、意味のないことをブツブツと呟いている。傍らにはぬるくなった飲みかけのビールの水滴がちゃぶ台に輪染みを作り、あべの背中に浮き上がっている汗と一緒に、時折音もなく流れ落ちる。
 夏休みが始まってしまったのだった。あべは、何もやることがなかった。スマホもユーチューブもなかった。頼みの綱のニンテンドースイッチも親に取り上げられていた。あべは畳に仰向けに寝転がり、茶色くなった竿縁天井を見上げ、その木目の中に人の顔が見える部分を探していた。
 こうして家にいると、まるで世界の動きが静止してしまったかのように思える。実は世界は滅んでいて、自分だけが助かったんじゃないかとか、実はこれは平行世界で、自分だけが取り残されてしまったんじゃないかとか、そういうことを考えていると心がムズムズしてきて、股間もムズムズしてきて、少年の冒険心や被虐心は性欲と結びついているんだなあとか、考えてみれば危機に対して種の保存が優先されるのは当然であるなあとか、そんなことをドキドキした胸で考えて、それからやっぱり、退屈だな、と思った。
 ゆうかちゃんは何するって言ってたっけ。和歌山のいとこの家に遊びに行くんだっけ。あそこの家はちょっと複雑で、ゆうかちゃんのパパは本当のパパじゃなくて、ママがゆうかちゃんを連れて千葉からこっちに逃げ帰ってきて出会った人で、ゆうかちゃんはあたし本当のパパのことは大嫌い、あたしはママと今のパパが一番好きやねん、と言ってがんばって関西のイントネーションを真似るんだけど、でも時々不意にあっちの言葉が出ちゃって、そんな時のゆうかちゃんの顔は、悔しさと、恥ずかしさと、あとほんの少しの諦めが混ざり合って、すっごいかわいいんだ。
 股の間に両手を挟んであべは寝返りを打つ。第一、「あべちゃん」のアクセントが違うんよなあ。あ「べ」ちゃん、じゃないんよなあ。そのことを指摘できる勇気が、この僕にもあればよかったのに。もしそうだったら僕たちは、こんなことにはならなかったのに。
 ストッパーが外れやすくなっているのか、知らない間に扇風機の首振りが再開していた。扇風機はあべから顔を逸らし、あべの部屋の壁に向かって激しくファンを回転させた。その拍子にあべの壁から重いものが落ちた。あべは仰向けになったままその鈍い音を耳にした。俺くらいのレベルになると分かるんだ。あの落下音はF4でもローライ35でもバケペンでもない、D2Xだ。
 扇風機の風がようやくあべの方に戻ってきた時には、既にあべは立ち上がっていた。耐衝撃機構のおかげでカメラが無傷であることを確認したあべは、そのままストラップをたすき掛けにし、ファインダーを覗いて各種設定値を確認した。
 大事なものの写真を撮りなさい、と南先生は言った。
 この世界に、まだそんなものが残っているとは到底思えなかった。
 もう誰もいないんじゃないのか。
 蝉さえ鳴いていないじゃないか。
 いや、もしかすると、だからこそ南先生はそんな課題を出したのかも知れない。
 あべは運動靴の紐を結び、いってきまーす、と言って玄関を出た。まず必要なものは自撮り棒だ。俺は、今でも、俺の顔をしているんだろうか?

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